2. 深名線蕗ノ台駅

〈位置〉 朱鞠内―白樺(北母子里) 間

〈開業〉 昭和16年10月10日(一般駅)
    →昭和39年4月1日(無人駅)
    →昭和52年12月1日(季節営業)
    →平成2年3月10日(廃止)

〈乗車客数〉 限りなく0に近いと思われる

〈概要〉

文字通り付近一帯に原生の大きな蕗を産することからこの名が付いたという。戦中戦後の食糧不足の時代は、5月頃になるとこの蕗を求めて、札幌や旭川から大勢の人々が列車でやってきて時ならぬ混雑を呈したとか、最盛期には100戸ほどの集落となり「日本通運」の営業所まであったという話だが、恐らく昭和30年代後半には集落が消え、やがて一軒の民家もなくなって駅だけがとり残される形となった。北海道の開拓集落ではこういったケースが比較的多い。現在、駅跡の周囲にはただ草原と原生林が広がるばかりで何キロにもわたって人家がなく、ここにかつて”駅”があったことを想像することすら困難である。

〈訪問記1〉

こうした背景で、さすがに駅の無人化は比較的早かった(昭和39年)が、その後20年以上も廃駅を免れてきたのは不思議という他ない。以前は立派な木造駅舎(左下画像:「幌加内町70周年史」より)が建って、列車の交換設備まであったらしいが、晩年は仮乗降場並の簡素な”移動式”ホームとなり、さらに冬季(当初 12/1〜4/20、昭和63年からは 4/30までに延長)はそれすらも撤去されるようになった。また、昭和60年頃に列車でこの駅を通過した際は、”幽霊小屋”のように荒れ果てていたという待合室(?)の姿も既に見られなかった。



〈訪問記2〉

深名線廃止直前の平成6年9月、一足早く廃止されてしまった蕗ノ台駅跡を訪ねようと、レンタカーを借りて再びやってきた。昔は鉄道以外に交通手段がない”陸の孤島”だったらしいが、現在は途中未舗装の区間があったり、冬季は深雪のため通行禁止となったりするものの、比較的スムーズにたどり着ける。廃駅から4年を経ても「蕗の台駅0km」の道路標識は残っていたが、旧構内は草で覆われ、かつての駅舎の名残りと思われるコンクリート製構造物と一部の標識類を除いて、ホームや駅名標などはきれいに撤去されてしまっていた。

上画像矢印のプレハブ小屋の内部。保線関係で当時もまだ使われていたらしく、鍵はかかっていなかったが、中はストーブもあって割ときれいな状態であった。この建物は隣の白樺駅にも残っていた。


 昭和47年頃刊行の「ふるさとの駅 〜北海道から鹿児島まで〜」(大森堅司)という写真集に、昭和40年代撮影と思われる古い蕗ノ台駅のカラー写真(夏景)が掲載されていることを北の旅人氏から教えていただきました。広い構内に草花が咲き誇る幻想的かつショッキングな画で、よく見ると駅舎は既に撤去されていますが、土盛りのホームは有人駅時代のままと思われ、配線具合から「島式」(たぶん白樺駅とほぼ同じ)であったことがはっきり読み取れます。いつ頃から簡素な"移動式"ホームとなったのか興味があるところです。何か情報をお持ちの方は是非ご一報下さい。
(その後同氏より、古い時刻表では蕗ノ台駅に「電報マーク」が付いていたことも教えていただきました。これも驚きです。)

◆北の旅人様、本当にありがとうございました。


 "蕗ノ台"周辺はその名の通り今も山菜の宝庫で、シーズンには道がよくなったマイカーを使って山菜採りに訪れる人々が結構いる模様。広瀬氏によると「ほんの数年前に山菜採りに来た男女が蕗ノ台駅跡にあった穴(馬の水飲み用穴?)に転落して亡くなる」事故があったらしく、その後「そうした穴(3ヶ所ほど)の位置が特定できないために駅跡周辺がすべて整地されてしまった」とのことでした。恐らくは、急速に原野と同化して全く痕跡を失ってしまうのではないかと思われます。寂しい話です。

◆広瀬様、貴重な情報をありがとうございました。


 往年の蕗ノ台地区・蕗ノ台駅の状況については、おくとん様のサイト「道道資料北海道」の「蕗の台と道道起点」および「蕗の台・白樺の歴史再調」に非常に詳しく書かれていますので、是非ご参照下さい。それによりますと、蕗ノ台地区の最盛期は昭和25〜30年頃で、約50戸・250人程の住民が暮らし、小中学校(昭和37年閉校)まであったことがわかります。"蕗之台自治区"は昭和40年に消滅したようですが、その後もわずかに住民が残り、最後の1人(男性)が去ったのは昭和47年夏頃とのことでした。

◆おくとん様、大変貴重な情報を本当にありがとうございました。HPリンク・ご紹介にも深く感謝致します。


 その後、往年の蕗ノ台地区・蕗ノ台駅の状況について、さらに北見大橋様より貴重な情報を頂きました。
 それによりますと、「幌加内町史」には当駅の沿革として「戦後、日鋼開拓団の入地もあって一時は乗降者もかなりの数に達し、昭和35年まで駅長ほか1名の職員が常勤をしていたが、翌36年から朱鞠内駅長が兼務、助役竹田清蔵が勤務していた。昭和37年、蕗の台開拓団の解散によって居住者も僅か3〜4戸となり、昭和39年に無人駅となった。」という記事があり、昭和36年からは事実上駅長を廃止して助役1人勤務であったことがわかります。
 また、昭和37年12月発行の「幌加内村政だより・37年10大ニュース」には、次のような"蕗之台開拓団の解散と蕗之台小学校の閉校"記事も掲載されていたそうです。「(5月30日=閉校 / 7月11日解散式) 蕗之台開拓団は、昭和二十ニ年国有林のうち農耕適地三百町歩の開拓計画が樹てられ、室蘭日鋼製鉄所から三十二戸の開拓者を受入れ、日鋼開拓団として発足し開拓に着手したのでした。昭和二十四年には小学校を開校、翌年には中学校が置かれ開拓の促進と営農の健全化を進めてきたのですが離農者が多く遂に開拓団の解散、全戸離農に決定し、蕗之台中小校も五月三十日をもって廃校となりました。」 "村政だより"には"閉校となった蕗之台校校舎"の写真も掲載されており、木造平屋ながらなかなか立派な建物であったことがうかがわれます。蕗ノ台地区の解散は昭和30年の国勢調査で人口が49世帯227人(蕗ノ台第一/蕗ノ台第二の合計)を記録した僅か7年後のことで、北見大橋様と同様に筆者も驚きを禁じえません。
 なお、「幌加内町史」には蕗ノ台駅の駅舎写真や歴代駅長の実名と就任期間(昭和16年10月〜35年2月〜合計9名)の他、旅客・貨物営業成績や駅関係建物の状況(下記)まで掲載されており、往年の駅データとしては最高レベルの資料と言えそうです。

年度 乗車人員 降車人員(人) 貨物発送屯数 貨物到着屯数 旅客収入 貨物収入
昭30年 11,903人 11,666人 8,252t 1,243t 590,387円 3,205,870円
昭31年 13,532人 12,363人 12,564t 2,648t 625,756円 6,300,330円
昭32年 12,914人 12,171人 14,979t 2,918t 715,176円 8,626,550円

[駅関係建物の状況」
駅本屋 52.9平方メートル
吹抜倉庫 29.16平方メートル
便所 6.0平方メートル
構内線路延長 430メートル
石炭庫 14平方メートル
保管庫 3.61平方メートル

◆北見大橋様、いつも貴重な情報を本当にありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。


〈蕗ノ台駅のきっぷ〉

普通入場券 10円券(昭和35年発行)。無人化時期が早いこともあって、この駅発行の乗車券類で残存しているものは極めて少ない。恐らく全国で数十枚以下ではないかと思う。(左図はマニア氏より頂戴したコピー)


白樺駅発行の蕗ノ台ゆき普通片道乗車券(昭和32年発行)。コピーなので白黒だが、実際は赤地紋と思われる。隣の白樺駅も似たような状況だったので、やはり乗車券類はほとんど残っていない。今では信じられないが、往時はこの2駅間を行き来した人が結構いたことを物語る貴重な資料である。


朱鞠内駅発行の蕗ノ台ゆき普通片道乗車券(昭和58年発行)。日付に注意。(休止期間中なので、実際にこの乗車券で蕗ノ台駅に降りることはできない。)もともと蕗ノ台で下車する旅客は極めて稀なので、恐らく”湖畔仮乗降場”(当時)下車の需要を見込んで設備されたものと思われる。(国鉄の規則では仮乗降場の場合、1つ先のキロ程のある駅までの運賃が適用される。マニアが結構買っていくので何となく口座が維持されてきた面もあると思う。)平成6年の再訪時には廃止されていた模様。