6.函館本線張碓駅

〈位置〉 朝里―銭函 間

〈開業〉 明治38年10月8日(一般駅?)
    →昭和53年10月2日(無人駅)
    →平成2年9月1日(臨時駅:営業期間 7/1〜8/31)
    →平成10年7月1日(通年休止)
    →平成18年3月18日(廃止)

〈乗車客数〉 1

〈概要〉

明治13年開業の幌内鉄道(手宮―札幌間)開通時には計画に入っていなかった駅で、もともと集落からはかなり離れていたと思われる。海岸と急な崖にはさまれた何とも窮屈な場所に位置し、駅構内には天然の滝があるという。当初から海水浴客の便宜を図る目的があったかどうかは不明だが、昔は地元の利用客も大勢いたはずで、それならば当然駅に通じるそれなりの道があったはずなのに、どういうわけか現在では、車はおろか徒歩でさえ国道(5号線)側からこの駅に到達することは不可能という奇妙な状態になっている。したがって、近年では専ら夏季の間だけ、札幌や小樽などからやって来る海水浴客の乗降が主体となった。ところが、最近は海水浴の旅客が減少したうえ、駅を利用しようとして列車事故に遭うケースが目立つようになったため、平成9年の夏を最後に通年営業休止の扱いとなり、時刻表には掲載されているものの、事実上廃駅に近い状況となっている。張碓海水浴場は現在遊泳禁止となっており、これが休止の引き金になったという説もあるが、どちらが先なのかはよくわからない。(トップの写真:昭和60年頃の張碓駅ホーム / 澤田氏提供)
 昭和39年の時刻表(上図:交通公社版 昭和39年10月号)をみると、1日26往復前後(日中約30分間隔)もあった停車本数が、昭和47年には既に8〜9往復に減少しており、昭和58年で5〜6往復(日没後全廃)、臨時駅(臨時乗降場?)に格下げになった最晩年にはわずか3往復となったことが知られる。1日当たりの乗車人員は、昭和56年度の札鉄局の統計で既にわずか1人、最晩年(平成5年頃)でわずか2人で、休止もやむを得ないという状況がうかがわれる。


 この駅は小樽市内にあるものの、かなり郊外に位置し、これより先、新興住宅地が出現して周辺人口が増加する可能性はほとんどなく、海水浴客への利便を図るという目的も失われたことから、ほとんど無用の長物(トマソン)と化しており、なぜ石北本線の天幕〜奥白滝間のように廃駅とならないのか不思議という他ない。その不思議さというか、奇妙な存在が逆にマニアの心理をくすぐるのか、最近はこの駅に対する鉄道ファンの関心が高く、かなりの人が海岸伝いに、また線路際を徒歩で到達しようと試みて、昨年(平成13年7月20日?)はとうとう人身事故も発生したという。線路通行は自らが危険なだけでなく、万一の場合は鉄道会社(JR北海道)も多大な損害を被るはずで、なおのこと廃止が相当と考えられるが、直ちに廃駅にできない何か特別な理由があるのかもしれない。


〈訪問記...ではないけれど〉

以前から、"通過"する場合は必ず車窓越しに駅舎や駅名標を眺めるなど、気になる存在ではあったが、札幌に近いこともあり、いずれ降りてみようと思っているうちにずるずると月日が経ってしまった。なぜ、停車列車があるうちに降りておかなかったのか、私自身も悔やまれてならない。現在では、JRがイベント列車でも計画してくれない限り、宗谷本線神路駅と同様、この駅に辿り着く"まともな"方法は全くないため、残念ながら今後も訪問の機会はないだろうと思われる。
なお、平成14年現在も、古い木造駅舎や相対式のホーム、駅名標などは健在のようで、ここでは紹介できなかったが、"張碓駅"などで検索すればかなりのHPで画像を目にすることが可能である。


 私自身は張碓駅に降り立った経験がないため、上記の記事は主にネット上の情報を集めて整理したものです。当HPに情報を頂いている澤田氏(平成5年まで札幌に在住)は、かつて実際に張碓駅に乗降した経験のある方で、メールで色々と質問したところ以下のようなご回答を頂きました。

1.張碓駅の現況について
「張碓駅崖上(国道5号線)の辺りは住宅街ですが、下に下る道は1本もありません。通せばかなりの乗降客が見込めるのにと思います。確かに駅近くまで来ている道はある様ですが、私有地でしかも採掘用で更に崖をおりなくてはならないので、ここは無理と思います。1番現実的なのが張碓駅付近の国道5号線のトン ネルがあるのですが、この小樽側の方の近くにここも私有地、工事用ですが下に降りる道があります。ここを降り線路から鉄道のトンネルを通れば1.2KM位で一応張碓駅には行けます。これが1番近いと思われますがかなり危険です。銭函側からはトンネルはとおりませんが、歩きで2.5KM以上は覚悟しなければならないと思います。これも線路を歩かなくてはならないので、危険です。」
◆この情報を見て、決して実行しないようにお願いします。前述のように、線路歩行は非常に危険な行為で、場合によっては刑法などに抵触する可能性もあります。
2.旅客営業時代の張碓駅の状況について
「もともとは番屋用、魚介類(にしん等)の積み出し用にできた駅らしいです。また30年以上前には崖上から獣道があり、通学、通勤客が少数ですがいたようです。駅の目の前がすぐ岩場の海水浴場です。徒歩30秒。そのかわり高い防波堤をはしごのようなもので降りました。札幌からは1番線に着くので線路を渡らなければなりません。」
3.列車が停まらなくなった背景及び張碓駅の今後について
「他のHPには海水浴客が、ひかれる事故が多発したため張碓駅に止まらなくなったような事を見ましたが、少なくとも私が札幌にいた93年まではそのような事故をニュース、新聞等で見たり、聞いたりした事はありません。97年には事故はあったようですが、張碓駅に止まらなくなった原因は、張碓海水浴場の波が高くなり遊泳禁止になったため、乗降客のいない駅として止まる必要がなったためと思われます。3年程前だったと思いますが、大雪によって国道5号線が通れなくなり、張碓駅付近も波の影響で線路が侵食され、小樽、札幌間が通れなくなり、先にJRが復旧、小樽までJRでしか行き来できなかった事もあり、張碓駅は保線の基地的な役割もあるので、信号場にはなってもなくなる事はないと思います。また遊泳禁止が解除されれば、また張碓駅に停車する事も考えられるので、あやふやな臨時駅状態で残るのではないかと思うのですが.....」


◆澤田様、本当にありがとうございました。


 また、張碓駅がなかなか廃止にならない理由について、北の流浪人氏から情報をいただきました。以下、メールの内容を要約いたします。
「JRの規定では駅を廃止にすると、直ちに撤去工事を行うことになっていますが、張碓駅の場合は"廃材を運び出す道路が確保できないため"、莫大な費用が必要となるそうです。有珠山噴火の関連などで極力予算を削っている現状から、"やむを得ず廃止保留になっている"、という話をJR北海道札幌工務所の方からうかがいました。(1月9日の北海道新聞にも同じような内容の記事がありました。)
 ちなみにこの駅の現役時代は行商の人が利用していて、海産物の仕入れなどを行っていたようです。昭和30年代には"張碓行"の列車も存在しました。」


◆北の流浪人様、本当にありがとうございました。


その後、"へい"様からメールを頂き、「張碓駅は昭和59年秋頃にはまだ運転関係の駅長がいた」ことがわかりました。但し、駅舎内で乗車券を売っていたかどうかははっきり覚えていないとのことです。

◆"へい"様、本当にありがとうございました。


さらにその後、無人化後の駅舎の使用状況について、再度澤田様からメールを頂きましたのでご紹介致します。
「たぶん昭和58年夏〜59年夏?頃と思いますが、既に駅舎の待合室部分は全く使われておりませんでした。『張碓駅』と書かれた看板の下が待合室の入口でしたが、当時は既に締め切られており、戸枠にたぶん昔はガラスか薄い化粧板が入っていた部分のみ、ベニヤ板で塞がれておりました。しかし、その一部は剥がれていましたので中を覗いたところ、不釣り合いに鮮やな朱色に塗られた長椅子(固定ではなく単独のもの、2人掛け)や掃除用具があったことを記憶しています。また、内部は意外に狭く、6〜8畳くらいに思われました。駅本屋待合室より小樽側が駅事務所、居住スペースになっていたようで、外の透かし入り窓ガラス?越しに鍋、やかん?が見えました。海水浴期間中の張碓駅発行の乗車券は昭和56年にはありましたが、無人化後の海水浴期間中以外の乗車券は見たことがありません。」
(筆者注: この張碓駅の"季節硬乗"につきましては、筆者のその後の調査で昭和54年[無人化翌年]日付の券も見つかっています。その他、下記を参照下さい。)


◆澤田様、お久しぶりです。今回も本当にありがとうございました。


 上記のように謎の多い"秘境駅"の筆頭格だった張碓駅ですが、ついに2006年3月ダイヤ改正で正式に廃止された旨、本多様他から情報を頂きました。当然と言えば当然ですが、ちょっと寂しい気もします。なお、澤田様によると、現在、保線関連の設備を除いてホームや駅舎などはすべて撤去されているとのことでした。


〈張碓駅のきっぷ〉

普通入場券 30円券(昭和51年発行)。昭和53年10月1日まで駅員が駐在し、乗車券類の発売を行っていた。特に晩年は送迎者など絶対いない?と思われるのに、"入場券"を設備する生真面目さには脱帽する。したがって、現存するものはほとんどすべて、その手のマニアが地道な手段で(一部通販もあり?)購入したものと思われる。


普通入場券 80円券(昭和53年発行)。”キップマニアの不思議な世界”「プレミアの付く条件」で紹介したが、昭和53年7月8日から54年5月19日までの間に無人化された駅の80円券は、現存枚数が少なく貴重とされている。前述のような背景から、張碓駅の80円券は特に数が少なく、澤田氏によると、券番による追跡から発売枚数は多くても100枚以下、現存枚数は60枚以下(?)。数年前のオークションでは、なんと4万円の値が付いたこともあり、今もマニア垂涎の1枚となっている。無人化間際に50枚まとめて購入した方がおられるとのことで、本当にうらやましい限りだ。


 また、某HPによると、"張碓駅発行"と印刷された硬乗が昭和62年頃までどこかで発売されたことになっている。当時、道内では多くの"無人"駅で簡易委託乗車券が発売されており、@ 書類上の"無人化"後も、駅舎内で運転関係の駅員や民間の"駅務員"が引き続き勤務し、縮小した形で出札を行うケースと、A 駅前の商店などに近距離の片乗など(通常数種類まで)の発売を委託するケースがあるが、張碓駅の現状を考えると、いずれの場合もにわかには信じ難い。昭和62年頃までは集落側から駅に通じる道があったということも考えられるので、その辺の実情や現に実券をお持ちの方がおられましたら、是非情報をお寄せ下さい。


※ この点に関しても、澤田様から以下のような明確な回答を頂きました。(恐縮の至りです。)
「確か海水浴シーズンだけは駅員がいましたが、駅舎ではなく2番ホーム(海側)に簡易ボックスみたいな物を設営して、そこに居たように記憶しています。駅舎はまったく使用していない感じでした。またその駅員が線路を渡る時に誘導してくれました。61年と62年には降りた時、簡易委託で乗車券の販売があり、購入いたしました。61年までが張碓駅発行、62年は小樽駅発行です。その後降りたのが、平成2、3年だと思うのですが海水浴シーズンではなかったので簡易委託の販売はありませんでした。何年まで売っていたかは分かりません。」


※ その後、上記の硬乗などに関して、橋氏からも情報を頂きました。それによると、
@ やはり、海水浴シーズン中に2番線ホーム側に設置されていた臨時の詰所で「張碓〜○○○円区間」の硬券が売られていた。
A 購入したのは昭和63年8月3日で、この頃は「小樽駅発行」ではなく「小樽築港駅発行」の表示。(左・画像提供 / 橋氏)
B 張碓駅のすぐ崖上には国道のトンネル入口があるだけで民家は全くなく、実際の集落は銭函寄り2qほどのところにある、とのことでした。
民営化後の発売なので当然と言えば当然ですが、この硬乗の"JR地紋様"はちょっとショッキングな感じです。


◆橋様、本当にありがとうございました。