17.  石勝線楓駅

〈位置〉 新夕張―占冠 間

〈開業〉 明治40年5月16日(夕張線・貨物取扱所)
    →明治42年7月10日(一般駅)
    →昭和56年5月25日(旅客駅)
    →昭和56年7月1日(廃止)
    →昭和56年10月1日(石勝線・無人駅)
    →平成16年3月13日(廃止)

〈乗車客数〉 97

〈概要〉

夕張市の南東端、石勝高原へ続く深い山間の入り口付近にある小駅で、近年発着便数も乗降客も減少の一途を辿っているが、平成15年5月現在もかろうじて廃止を免れており、駅自体の奇妙な構造と特殊な営業形態から鉄道マニアの間ではかなり有名。旧夕張線の各駅と同様、元々は付近で産出する石炭の積み出し場として設置されたのが始まりで、大正5年頃までは終着駅だったようだ。当初、登川方向への運転は勾配の関係でスイッチバック式が採用され、貨車の取扱は難儀を極めたというが、昭和42年頃に場所をやや移動して片面ホームの単純な構造に改められた。さらに昭和56年、高規格の石勝線が開通するに当たって登川支線と共に一旦廃止となったが、3ヶ月後に新線の無人駅として再々スタートしている。旧駅と新駅はキロ程で1.2kmほど離れており(左図)、各種資料では(国鉄部内でも)あくまで別駅の扱いだが、ここでは敢えて一括りとしたのでご容赦願いたい。また、登川支線時代の写真(駅舎・ホームなど)をお持ちの方は是非画像をお譲りください。

石炭産業が衰退し、この付近は石勝線開業以前から既に旅客需要が見込めない状況にあったため、楓―新得間は普通列車が運転されないことになり、特例として"普通乗車券だけで急行・特急列車に乗車できる"ということで一躍有名になった。楓駅から新得方向に向かう旅客は一旦新夕張に戻って、その上否応なく急行・特急に乗らなければならず、当然のことながらその場合は「楓―新夕張間の運賃を払わずに飛び出し乗車することができる」(基規152条2項)等のいろいろな特例を設けて地元利用客に便宜を図ったが、当初はこの"解釈"が徹底せず、精算を巡ってトラブルが絶えなかったようだ。それでも新・楓駅開業時の乗降量予測は200人を超えていたというが、機を同じくして周辺の住宅があいついで移転してしまったために利用客が激減し、平成5年頃には既に1日平均16人(乗降人員)、現在ではせいぜい数人程度ではないかと推測される。それに伴って楓駅を発着(折り返し運転)する旅客便もダイヤ改正の度に漸減し(当初6便?→4便→3便→2便)、ついに平成12年3月からは朝の1便だけとなって、それも去年(平成14年)12月の改正で"日曜運休"というひどい状況になっている。石北本線の天幕―奥白滝間(平成13年7月廃止)と同様、鉄道ダイヤとしてはもはや末期的状態で、余程の事態が起こらない限り廃駅は時間の問題ではないだろうか。


そんな利用客もほとんど見込めない小駅であるにもかかわらず、石勝線開業時から発着用ホームはなぜか3面も設けられていて、普段は"車止め"のある短い3番線(駅舎側)だけが使用されているようだ。本線の1・2番(相対式)は高規格で有効長も長いが、定期の特急列車は楓駅に停車しないため、過去臨時列車が数本停まった以外に全く使用されていないという。(但し、あるHPによると、開業当初の極一時期、石勝線廻りの急行「狩勝」(?)が停車していたという情報もある。)そのため、本線ホームに向かう連絡通路もあることはあるらしいが、近寄る者もいないためひどい状態になっているという話だ。


〈訪問記〉(澤田氏寄稿文より)

以上のような背景からこの駅は鉄道マニアの人気が非常に高く、残念ながら私自身はこの駅を訪問したことが1度もないが、ネット上で検索(「楓駅」)をかけるとおびただしい数のサイトで情報を入手することができた。あるHPでは「平成14年春に廃止、ホームも撤去して信号所に格下げ」というまことしやかな情報まで載せられており、十分説得力はあるものの真偽のほどは依然不明のままだ。

 当HPによく情報を頂戴している澤田様から最近(平成15年1月頃)の楓駅の様子や写真画像(3枚目から計5枚)を送っていただきました。再度、氏の御好意によりこれらを紹介させていただくことにします。


「駅の周辺(駅北側)には、比較的新しい集合住宅、一戸建てが数件あり、国道(274号線)も通っているため秘境という感じはありません。車がメインとはいえ少なからず利用者はいそうなので、なぜ一日一往復なのかという疑問が湧きます。駅舎内部はこんなに沢山利用するだろうかと思わせる数のベンチがあり、トイレは綺麗に清掃され、トイレットペーパーも完備されていました。楓駅に到着する列車はすべて3番ホーム(引込み線)に到着するので、石勝線側の1、2番ホームはまったく使用されておらず、除雪もされていませんでした。また、駅南側に抜けるための歩道橋とシェルターがありますが、住民がいないためか、まったく利用されずに雪に埋もれていました。


駅名標について: 3番ホーム(通常使用)は「しんゆうばり」のみの記載ですが、通常使用していない1、2番ホームにもちゃんと駅名標があり、「しむかっぷ」「しんゆうばり」と存在しない列車に向けて記載されています。(雪の為、近くまで行けませんでした。)

廃止について: 前回JRで楓駅に行った時(1994年頃)は高校生が利用していました。現在は平行して走るバスもあり、駅の西側には石勝線開業当時からの立派な保線小屋も別にあるので、駅自体の存在意義はないと思われ、いつ廃駅になってもおかしくない状況です。通学、通勤等の需要が増えればまた一日二往復位に増発されるんでしょうか???」


◆澤田様、いつも本当にすみません。


 その後、FUJINO様から当駅にまつわる色々なお話をうかがいましたので、ここにまとめてご紹介致します。(内容は「乗車当時の関係者からの伝聞」によるものとのことでした。)
1.新駅に普通列車を停車させることになった経緯について
 「人の往来の少ない占冠方面はともかく、登川、楓、紅葉山界隈は夕張−清水沢−真谷地ー新夕張−楓−登川間に、経路と運行時間に偏りは見られるが、1,2時間毎に夕張鉄道のバスが運行されており、そうそう不便でもない。(但し、平成20年前半からは、楓から先、登川まで行くバスは朝夕数便に減便。) (それにもかかわらず)新夕張−楓間の普通列車運行を残したのは、楓駅まで夕張支線と一体化して代替路線化することにより追分−登川の既得権を残し、さらにこれを"石勝線"の一部とすることによって夕張支線が地方交通線として切り捨てられることを防ごうとしたものである。本線上に不要とも思えるホームが造られたのも"石勝線"の一部であることを示す必要があったため。(「夕張線」の赤字と様々な営業係数をカモフラージュする目的があった。したがって、楓駅が存在する事それ自体に意義があった。)」
2.新駅が旧駅位置からかなり離れている理由
 「"炭砿離職者就労支援センター"(国道274号バイパス工事と道東道工事関係の就労を見込んでの)設置と、道と夕張市合弁の"農産物直販センター"の拠点となる場所だったため。また、炭砿離職者用の公営福祉アパートの建設も新駅前に計画されていたらしい。北炭真谷地砿と楓砿が稼働していた時期には、実際、日に200人程度の利用者があったという。さらに、石勝線の新夕張-新駅間がかなりの急勾配だったことも、旧楓駅付近に駅を設置できなかった理由の1つ。旧駅裏手に北炭の炭砿があった時代に"スイッチバック構造"だったのもそのためで、現に新夕張−楓間の所要時間は往路10分、帰路8分となっている。」
3.新駅への普通列車運行について
 「新駅開業時の新夕張−楓間の列車は、名目は違うが、国、道、夕張市の補助を受けた運行である。4往復の内、夕張発着の1往復は「登川支線」の代替としての設定、残る3往復は福祉がらみの補助を受けたモノ。路線が存続できなくなったのも、夕張市の財政がおかしくなって補助の打切りが行われたためである。3往復の新夕張−楓間の列車が独立した形で運行されているのも、夕張からの新夕張止め列車から1両を解結し、楓行列車に仕立てる「仕業」にからくりがあって、清水沢、新夕張駅、運転作業員、乗務員の人員確保の論拠となっているためで、これらは(国鉄)組合が関与している。」
4.新駅における運転停車について
 「巷間諸説あるのだが、開業当初は夜行の上り急行「まりも4号」が早朝に運転停車していた模様。(少なくともS57.11.15改正まで楓で下り貨物列車?と交換していた。)私(FUJINO氏)自身も「まりも54号」が当駅で運転停車したのを確認しております。」
5.新駅における乗車券発売について
 「旧駅時代も末期は駅前よろず屋の簡易委託で、列車の発着時に駅へ出向いて切符を発売していたと聞きました。車掌氏によると、余剰人員対策で開業当初はオフの時間でもお構いなしにオレンジカードや販売用の缶コーヒーまで抱えて"行商"に行かされたとのこと。開業時は"初物体験組"で賑わったそうです。乗車券も、確かに駅の待合室に机を置いて発売していたそうですが、硬券か補充券かは聞き漏らしました。」


◆FUJINO様、今回も貴重な情報を本当にありがとうございました。


 その後、大方の予想通り、本駅は平成16年3月12日限りで廃止されました。大変残念です。


〈楓駅のきっぷ〉

普通入場券 100円券(昭和55年発行)。入場券を発売していたのは旧駅時代までで、最終日付は昭和56年6月30日、最終額面は110円券である。切符マニア以外で廃止記念に購入された方も多いと思われるため、それほどの稀少価値はないようだ。


(簡)楓駅発行の新夕張/沼ノ沢間ゆき普通片道乗車券(昭和56年発行・コピー)。簡易委託券なので小児断線はなく、"ム"(無人駅)の記号が付けられている。どこで売られたものか、現在も売られているのかなど詳細は不明。ただ、新駅については「開業直後の極一時期のみ、駅舎内に出札用のブースを設けて乗車券の発売を行った」という話を聞いたことがあり、この真偽も現在調査中。ご存じの方は是非ご一報ください。


※ 上記の楓駅の簡易委託乗車券については、糟谷様から「"日本の鉄道" 1巻(昭和58年発行/山と渓谷社)に販売を委託されていたらしい商店(雑貨屋)の写真が掲載されている(P.62)」旨の情報をいただきました。糟谷様、本当にありがとうございました。なお、この商店の具体的な所在地および券の様式や発売時期については不明です。