9. 白糠線上茶路駅

〈位置〉 縫別―下北進 間

〈開業〉 昭和39年10月7日(一般駅)
    →昭和49年3月31日(無人駅)
    →昭和58年10月23日(廃止)

〈乗車客数〉 3

〈概要〉

釧路平野の西方、茶路川沿いの丘陵地帯にあり、周囲には酪農を中心とした畑作地帯が広がる。かつて駅前付近には上茶路炭鉱があって、白糠線自体が主に石炭輸送を目的として開業した経緯があり、暫くの間はここが終着駅となっていた。(下2枚:交通公社の時刻表・昭和47年3月号) 昭和41年から延伸工事が始まったが、45年には上茶路炭鉱が閉山、また上茶路以北はいよいよ人家が疎らであるにもかかわらず、47年9月に北進(左写真)までの7.9kmが開業。国鉄の赤字が問題になり始めた最中、政治的なゴリ押しがあった感は否めない。当初の計画では、池北線足寄駅まで延長する予定であったというから2度驚きだ。ちなみに北進という駅名は延長工事の"北進"を願ってつけられたもので、建設時の仮称は「釧路二股」であったという。しかし、その期待もむなしく、全国の赤字ローカル線一斉廃止の先陣を切らされる形で、昭和58年10月をもって19年という短い歴史を閉じた。
 この駅は開業から約6年間、石炭の積み出し駅として賑わい、付近には100戸余りの炭鉱住宅もあって、沿線では唯一駅員が配置されていた。他の駅が全て片面使用の短い即席ホームであるのに比べて、構内はかなり広く、引込線も複数あって、短いローカル線の中間駅としては立派過ぎる感じを受ける。旅客列車の運行は、開業時からずっと1日4往復(初期)->3往復(廃止時まで)で、乗降量としては全盛期でもそれ程多くなかったと思われる。また、必要性もないので、中間駅となっても行き違い設備は設けられなかった可能性が高い。



左は廃線間際の貴重な駅舎写真。(画像提供 / カムエク氏)


◆カムエク様、本当にありがとうございました。


〈訪問記〉

晩年の白糠線は営業係数全国ワースト10の常連で、九州に居ながらも気になる存在であったが、やがて一次廃止対象路線に指定され、いよいよ廃線が間近いことを知ってようやく訪問の機会を得た。廃止2ヶ月前のことである。列車が1日3往復しかないので、乗り継ぎのタイミングは限られており、プランを立てるのに一苦労だった。沿線は、北海道ではよく見掛ける酪農地帯が延々と続くばかりで変化に乏しく、駅も停留所並の簡素なものばかりであまり面白味はない。茶路川を右に見たり左に見たり、やけに橋梁が多いのも特徴であった。やがて、少しずつ林が濃くなり、沿線の中心駅、"上"茶路に到着。前知識が全くなかったので、なぜ(本家?の)茶路駅より立派なのか不思議に思い、思わず車窓からカメラに収めたのが1枚目の写真。本当は降りてみたかったのだが、列車本数が極端に少ないのでどうしようもなかった。終点の北進駅は本当に何もないところで、唖然としたのを覚えている。(2枚目の写真)
 その後、廃止から20年近く経っているが、残念ながら訪問の機会はない。最近、ネット上を"上茶路駅"などで検索してみると、廃駅跡を探訪した方が結構おられるようで、近況を知ることができた。廃止直後は、上茶路駅から上茶路跨線橋付近までレールが残され、トロッコ遊びが楽しめる施設として活用されていたらしく、現在も同区間には錆びついたレールが残っているという。立派な駅舎もつい最近まで残っていたらしいが、平成12年10月頃、廃屋となった鉄道官舎や駅前商店と共に撤去されてしまったとのことである。但し、ホームと駅名標だけは今も健在の模様。ちなみに、この駅名標は廃止後にどなたかが作り直したものらしく、明らかにオリジナル(1枚目の写真参照)とは別物のようだ。
 全く余談だが、白糠線には"共栄"という道内時刻表にも記載されていない仮乗降場があった。(上写真:上白糠―茶路間) もともと釧鉄局管内の仮乗降場は新士幌・多和・桂台など数えるほどしかなく、駅名標の規格もバラバラでまとまりがないが、この駅名標はその中でも最もユニークではないだろうか。


 その後、FUJINO様からメールを頂き、白糠線建設の政治的背景や具体的な計画、駅情報などに関して貴重なお話を伺いましたので、ここにまとめてご紹介させて頂きます。
1.白糠線建設の背景について
 「北進から足寄までの延伸予定に加えて、新得−士幌−足寄−釧路間を結ぶ高速鉄道としての"北十勝線"の構想があった。(釧路の)雄別炭田の整理に伴う政治的なもの、炭砿閉山に伴う労働者の就労救済策と、釧勝エリアの林業・鉱物資源の開発が背景にあり、輸送力が逼迫していた根室本線のバイパスの役割と、士幌線沿線から産出される十勝の中央部の林業・農産物・鉱物資源を釧路港へ、新得から狩勝線を介して苫小牧へと結ぶ路線としての、新時代の拓殖鉄道としての意味があった。冗談ではなく沿線自治体から、砂糖大根(甜菜)輸送のために必要と、陳情が出ていたという。」
2.北進以北の具体的な敷設計画について
 「北進側から"鯉方・茂羅湾・羅湾・中足寄"の4駅を新設予定で、実際、足寄−中足寄間はレール敷設と付帯工事を残すまで進捗していた他、羅湾駅(予定)からさらに分岐して北見相生を結ぶ"釧美線?"(北海道新聞拠出)の構想まであったらしい。」
3."北進"の地名について
 「足寄への鉄道延伸を願って建設時の仮称"釧路二股"から"北進"となったのか、元からの地名・字(あざな)由来なのか諸説紛々だが、旧北進駅から500mくらい離れた二股集落にある"北進簡易郵便局"の受託員さんによると、(たまたま来局中の地元の老婦人に確認しながら)鉄道ができる前からここは広域に"上茶路"の地名で、余りに範囲が広く不便なので、茶路川とノイベツ川の合流点である集落中心付近を"二股"地区と呼び、さらに茶路川沿いの開拓地を"左股"、ノイベツ川沿いの開拓地を"右股"と名付けた。"北進"と言う「地名」は、昭和初めの開拓地の北方への進捗を願い、二股地区の中心を"北進"と命名したことに由来する。実際、学校の名前は白糠町立"北進小・中学校"(平成24年廃校)で、"北進集会所"という地域コミュニティセンターや昔は"北進牧場"や"北進木工所"などもあったらしく、鉄道駅ができる前からの「準地名」だったと考えるべきである。また、"下北進"については"奥茶路"という別の地名もあったが、"北進"に合わせて改称されたものと思われる。(筆者注:「写真で見る北海道の鉄道・上巻」(北海道新聞社編/田中和夫監修・2002)に開業を待つ"釧路二股"駅のホームと駅名標の写真(昭和47年3月撮影)が掲載されていますが、確かに隣駅の表示は「おくちゃろ」となっている...ように見えます。) なお、戦中戦後の時期、"左股"には明治鉱業の"庶路炭砿二股砿"が稼働していたが、白糠線開業を待たずに閉山となった。北進以北の(鯉方、茂羅湾、羅湾、中足寄)駅予定地区も現在はほぼ"無人境"となっている。」
4.上茶路駅周辺の状況について
 「昭和40年代初期には周囲に炭鉱住宅が100以上もあり、人口500人を数えたという。廃止直前の時期、駅前に雑貨店(酒屋)はあったが、とうに廃業した様子で、駅前集落跡は既に原野に還りつつあった。現在、国道から駅跡へと繋ぐ道道665号上茶路・上茶路停車場線は、草と雑木に行く手を阻まれ、車も進入できない有様となっている。なお、車掌氏の話によると上白糠−茶路間の共栄仮乗降場は、茶路駅が集落から離れているために、茶路の中心に近い場所に釧路鉄道管理局特認(北海道総局認可ではない)で設置されたものという。」


◆FUJINO様、今回も貴重な情報を本当にありがとうございました。


〈上茶路駅のきっぷ〉

普通入場券 30円券(昭和47年発行・コピー)。最終日は昭和49年3月30日付だが、開業が昭和39年なので発売期間は10年弱と極めて短い。10円券から30円券に至るまで発行枚数はそれ程多くないとみられ、希少価値があり人気も高い。


(簡)上茶路駅発行の縫別ゆき普通片道乗車券(昭和58年発行)。簡易委託券なので小児断線はなく、"ム"(無人駅)の記号が付けられている。やはり常備券にする程の需要があったかどうかは疑問だ。廃止直前まで発売されていたので、それ程珍しいものではない。この券は、駅舎内の出札口ではなく、今はなき駅前商店で売られていたものではないかと思われるが、もし情報をお持ちの方は是非ご一報下さい。


(簡)上茶路駅発行の北進ゆき普通片道乗車券(昭和58年発行)。(画像提供 / カムエク氏)


※ 上記の上茶路駅の簡易委託乗車券については、"千春の家"様・カムエク様他複数の方から、実際は「列車が到着するたびに地元の方(現在でも上茶路に居住されているそうです)が車で売りに来ていた」という旨の情報をいただきました。ありがとうございました。