15.羽幌線力昼駅

〈位置〉 鬼鹿―古丹別 間

〈開業〉 昭和6年8月15日(一般駅)
    →昭和47年2月8日(無人駅)
    →昭和62年3月30日(廃止)

〈乗車客数〉 不明(多くても数人?)

〈概要〉

留萌市の北方約30km、天売・焼尻島を望む海岸端に設けられた小さな駅で、国道232号線(天売国道)を挟んですぐ目前に日本海が広がる。付近に海岸へ突き出した山崖があって、それが地名・駅名の語源になったという(アイヌ語で「リ=キピリ」"高い崖"の意)。上平駅のやや南の海岸線に"ローソク岩"と呼ばれるそそり立った大きな岩があるが、これがその山崖かどうかはよくわからない。しかし、羽幌線が力昼駅のすぐ北で大きく内陸側に進路変更しているのは、旧街道がこの危険な場所を迂回したことと無関係ではないようだ(左図)。本駅はなぜか"力昼"の集落からはやや離れた(南約2km)小平町との境界付近にあり、駅前には商店が1件もなく、人家も疎らで閑散としている。 片面使用のホームは心なしか短めで、当然行き違い設備もないため、昔有人駅だったとは思えないほど簡素な造りだ。昭和47年には無人化され、駅舎の方も比較的早い時期(昭和54年以前らしい)に取り壊されて、3.6m四方の小さいカプセル型の待合室(トップの写真:沿線の北川口・振老・更岸駅などと同じもの)に立て替えられている。


〈訪問記〉 *"番屋ノ沢仮乗降場"について

力昼駅との関係で無視できないのが、番屋ノ沢(ばんやのさわ)仮乗降場の存在であろう。"沿岸バス"の"力昼"停留所から小路を内陸に1〜2キロ歩いていくと、比較的まとまった力昼の集落がある。なぜ本駅とこんなに離れているのか不思議だが、とにかく不便ということで昭和30年頃(ある資料では昭和30年3月26日)に市街の中央付近に新しく設けられたのがこの仮乗降場らしい。 木造の待合室は力昼駅より大きく立派で、入り口には「番屋の沢乗降場(力昼)」という表札まで掛かっており、どちらが"本家"かわからない感じだ。二重戸の内部はストーブ完備で、郵便局や消防署の広報ポスターなどが整然と張りめぐらされており、町の寄合所という雰囲気だった。苫前町長が「番屋の沢乗降場清掃グループ」に送った表彰状が飾られており、日付は昭和42年12月というからちょっと驚きだ。構内?に出てみると、土盛りのホームや駅名標も実に堂々たるもので、どう見ても"仮乗降場"という感じではなかった。


有名な宮脇俊三氏のエッセイ(「ローカル線をゆく・北海道」昭和59年初版)によると、SL時代は番屋ノ沢仮乗降場に「切符を売る民間委託の小屋があった」と記されている。"小屋"というのが切符発売専用に設置されたブースのようなものか、それともこの待合室自体を指したものだったのかは不明だが、探訪当時(昭和59年3月)には既にそれらしき出札口はなくなっていて、その代わりに仮乗降場からかなり離れた雑貨店(?左の写真)が「番谷ノ沢国鉄乗車券発売所」となっていた。"番屋"とはニシン漁が盛んな時代、ニシンの群を監視したり網を保管しておくための共同施設のことで、当然"谷"は"屋"の誤りだ。 (ついでに言うと、駅名標などの"の"も道内時刻表・北海道時刻表ではカタカナの"ノ"に統一されている。)残念なことに、このときは店が閉まっていたのか、とにかく寒くて早く帰りたかったのか覚えていないが、なぜか切符を購入しなかった。仮乗降場発売の切符などあまり聞いたことがないので、どんな様式だったのか大いに興味のあるところだが、それだけに悔やまれてならない。


力昼駅の反対隣にも"千松仮乗降場"(鬼鹿―力昼間)があったのでついでに紹介しておく(右の写真)。"沿岸バス"の"第1千松"停留所付近の国道沿いにあった。沿線では最も遅く昭和38年頃に設けられたもので、典型的な仮乗降場スタイルだ。探訪したときは廃線の3年前で、小さな待合室に張られた"羽幌線廃止反対"を訴える手書きのポスターが印象的だった。


〈力昼駅のきっぷ〉

普通入場券 20円券(昭和43年発行・コピー)。同駅における出札営業(きっぷの発売)の最終日は昭和47年2月7日で、入場券は30円券(大人小児用)まで確認されている。ちょっと珍しい駅名なので、人気があり稀少価値も高い。番屋ノ沢仮乗降場関係も含めて、乗車券類(簡易委託券など)の情報や実券をお持ちの方は是非ご一報ください。


力昼から古丹別ゆきの普通片道乗車券(発行年不明・コピー)。その後の調査で、廃止頃まで左のような連綴式の委託乗車券が存在することが判明した。軟券の委託券は当時内地ではポピュラーだったが、北海道では比較的少なくて多くは硬券だった。力昼駅近辺の一般商店か委託を受けた普通の民家、もしくは上記の"番谷ノ沢国鉄乗車券発売所"で発売されたものと思われる。(仮乗降場は"キロ程"が存在しないので、行先から遠い側の最も近い"駅"が運賃計算上の乗車駅となる。)


※ その後、澤田様から「羽幌線廃止まぎわの特集『中村敦夫の地球発22時』という番組の中に、力昼駅の委託状況がわかる映像がある」というご指摘をいただきました。調べてみましたところ、昭和62年2月上旬頃放映のサブタイトル「さらば!氷雪の羽幌線」の中で、近くに住む漁民の主婦の方が無人化後国鉄の委託を受け、駅の管理や切符の販売を行っていたことがわかりました。駅舎内には「乗車券は佐々木宅でお求め下さい」という掲示が貼られていたようですが、発車直前にやって来て駅舎内の小さなカウンターで乗車券を販売する場合もあったようです。映像を見る限り、この切符は軟券で上記の連綴式と同じもののように思われます。余談ですが、この方が国鉄からもらう"給料"(?)は除雪手当も含めて月4万円、切符の売り上げの1割が副収入となるそうですが、売れるのはせいぜい1日4〜5枚ということでした。羽幌線には同様の委託駅が14〜15あった模様です。


◆澤田様、いつも本当にありがとうございます。


※ さらにその後、上記の連綴式委託券について詳しく調べてみましたところ、「北海道総局旅客営業取扱基準規程」の第58条に券の様式が具体的に規定されており、「軟券11券片を上下に連綴し、最上部に管理駅側の領収用券片がついた」体のものであることがわかりました。11枚単位の乗車券を管理駅から10枚分の代金前払いで仕入れるので"1割の収入"となるのだそうです。したがって、受託者(被委託者?)は旅客の申し出を聞いてから乗下車駅名のゴム印部分を自分で捺して売るのではなく、"下車駅ごとに印刷もしくは捺印済み"の11枚綴りのセットをあらかじめ用意しておく必要があります。この方式は民営化後の現在でも広く行われているようです。なお、上記の委託券には日付が入っていませんが、これだけは受託者側が捺してから発売しなければなりません。ほとんどは回転式のゴム印ですが、極稀に(たぶん禁止されているハズですが)ボールペンなどで手書きしたものを見掛けます。参考文献:「国鉄きっぷ全ガイド」(近藤喜代太郎・日本交通公社・1987)

※ また、「番屋ノ沢仮乗降場発売」の簡易委託乗車券については、"ラミー"様および"日高三股駅長"様より貴重な情報を頂きました。「(特別企画)【不思議な小駅"仮乗降場"について】 7.仮乗降場の乗車券類」をご覧ください。