19. 石北本線天幕駅

〈位置〉 上川―中越 間

〈開業〉 昭和4年11月20日(一般駅)
    →昭和50年12月25日(旅客駅)
    →昭和58年1月10日(無人駅)
    →平成13年2月1日(季節営業)
    →平成13年7月1日(廃止)

〈乗車客数〉 1

〈概要〉

北見峠に差し掛かる上川盆地の東端付近にあり、上川駅からは5〜6km程だが、以前は人もあまり住まない山間の原生林地帯だったらしく、ようやく近くに道路ができたのは明治中期になってからだという。したがって、もともとはっきりとした地名もなかった(*)らしく、道路建設に際して"天幕"(テント)を張ったのが駅名の由来と書いている参考書もあるが、「明治29年頃、路線調査に当たった北海道庁鉄道部の一行が"天幕三次郎"という人物の世話になった故事から付近の字名・駅名となった」というのが真相らしい。戦後にかけて林業が盛んな地区で、昭和35年頃には68世帯344人程の集落を成したとのことだが、その後年々人口が減少して昭和51年には天幕小学校が閉校、55年には8世帯22人となって、現在は人口ゼロというわけではないらしいが「ごみ収集」(上川町)も廃止になっている状態という。したがって、無人化頃からはほとんど駅の利用者はいない有様で、晩年のダイヤ改正で"1日1往復停車"という酷い状況になってからは「廃駅は時間の問題」と噂されていたが、平成12年に交換設備を廃止して駅舎と反対側の線路とホームを撤去、いよいよ平成13年2月からは冬季休業(2〜4月)の扱いとなって、そのまま6月一杯で廃止されてしまった。似たような運命を辿った中越・奥白滝の両駅は"信号場"に降格となっているが、現在、本駅はホームも駅舎もきれいに撤去されて、駅跡にはJR北海道旭川支社により記念碑が建てられているという。

* 昔は上川駅を含む周辺の地域一帯が"ルベシベ"と呼ばれていた模様。

〈訪問記〉

廃止の7年前にレンタカーを使って訪問した。当時は既に"1日1往復"の扱いとなっていて、もとより"列車による乗り継ぎ探訪"は不可能な状態だった。旭川を早朝に出発して国道273号線を東下、上川を過ぎ、天幕駅手前で北向きに線路を渡って駅前へ向かう小道に入る。以前はこちらのほうが本線で、数十年前に駅裏を通るコースに付け替えられたのだという。まだ上川町の郊外に当たるが、この辺りまで来ると一面に林が生い茂って人工物も疎らで、およそ人が住んでいそうな気配はない。やがて、右手奥にひっそりと建つ天幕駅舎を発見。情報では、駅周辺に放棄された民家や旧公民館などの廃屋が数軒残っているとのことだったが、このときは駅前に新道建設工事のための機材基地・事務所がデンと建っていて少し興醒めだった。しかし、それ以外は本当に何もない。ホームは当時はまだ「相対式」の立派な造りで、駅舎の中越寄りには不相応に長い"引込み線"まであり、昔は材木などの貨物扱いが多かったらしいことが想像できた。駅の周りを色々と探索している間にいつの間にか6時を廻って、「網走行」の"今日1番にして最後の下り列車"(2両編成)の停車シーンを撮影することにも成功。ほとんど乗降客などいるハズはないのに、きちんとホームに降りて確認をする運転士さん(ワンマン?)の姿が印象的だった。

* 平成6年9月22日 天幕駅に停車する網走行普通列車(無音声動画14秒)(tenmaku.mpg/2.00MB)


本当に、下り(遠軽方面)は早朝、上り(上川方面)は夕方の各1便のみ(左)。便数が少ないのはわかるが、下り方向は支庁境界を越えて白滝村の中心部までずっと深い山が続くばかりで、"上下の停車時間帯を逆にすべきなのでは..."と思いませんか?某HPによると旭川農業高校の生徒が林業実習でこの駅を利用していたとのことなので、このほうが便利がよかったということかも。

待合室内を区切って新設されたらしい意外なほどきれいな"お手洗"(右)。(中は怖くて見ていませんが...。)このときは駅舎の中ほどにデンと農機具(たぶん数少ない近隣住民の方の仕業)まで置かれていてすごい違和感。利用者は皆無に近いのに、ホームも含めて概ねきれいに清掃管理されており、「駅寝」には最高だったかも。


〈天幕駅のきっぷ〉

普通入場券 100円券(昭和54年発行)。国鉄の"赤字ローカル線一斉廃止"が始まる直前に無人化されたため、意外とたくさん残っていて、それほどの希少価値はない模様。


上川駅発行の天幕ゆき普通片道乗車券(昭和59年発行)。券番は"0125"で、ほとんどマニアだけが講入していたと思われる。