(特別エッセイ)【"夢"探訪 <深名線蕗ノ台駅編>】


 .......気が付くと見慣れない古い木造駅舎の前に立っていた。正面入口の駅名看板を見ると、旧字体ながら「蕗之臺驛」の文字。「よしよし。」どうやら"トリップ"には成功したようだ。何事もなく着いたのは本当によかったが、この"乗り物酔い"に似た吐き気と頭痛はなんとかならないものか...。

 気分の悪さを堪えながら周囲を見渡すと、駅前に古い民家が10軒ほど。"空き家"も多いようだが、まだ少しは住民がいるようだ。既に「駅前商店」の類はなくなってしまったようだが、舗装されていない駅前通りを20mほど進んだ左手に2階建ての大きな建物があり、「日本通運名寄営業所蕗之台出張所」の看板が掲げられている。しかし、昼間だというのに黄色いカーテンが閉められたままで、どうやら今は閉鎖されているらしい。
 想像以上に広い駅前広場とは対照的にひと気は全くなく、駅舎の右手に旧式の自転車が1台停められている他は自動車の音も聞こえず、ひっそりとしている。

 頭痛も大分治まってきたので、いよいよ駅舎の中に入ってみる。重い引戸を開くと内部は12畳ほどの待合室で、古い木製のベンチが2つ、右手に小さな出札口と"チッキ"の窓口があり、「予定通り」どちらもまだ現役のようだ。駅員がいることは間違いないようなので、早速出札口で声を掛けてみる。暫くして、奥の方から若い駅員氏がやって来たが、私の顔を見るやちょっとびっくりしたような表情。無理もない.....。

 そそくさと蒐集目的であることを率直に説明して、"夢にまで見た"蕗ノ台駅発行の切符を何枚か売ってもらうことに成功。日付は「38.-9.15.」となっており、これも「予定通り」。「白樺ゆきの乗車券」は予想に反してB型の"相互式"だったが、この時期にまだ常備券が残っていたとは感激だ。しかし、券番は「0013」で、案の定ほとんど売れていない感じ。窓口から覗き込んでちらっと確認したところ、"硬券"では「白樺ゆき」の他に「朱鞠内ゆき」「幌加内ゆき」「深川ゆき」「名寄ゆき」「旭川ゆき」「札幌ゆき」の常備片道券とD型の準常備片道乗車券が4種類、それに補充片道乗車券と準常備普通急行券および入場券が設備されている模様。マニア垂涎の"赤線入場券"も5枚ほど購入したが、額面は"10円"なので併せてもたった"50円"。現代に持ち帰ってオークションに掛けたら、一体いくらの値が付くだろうか.....。


 折角ここまで来たのだから、ついでに色々と質問してみることにする。最初は怪訝な表情を見せていたが、話し込むとなかなか親切な駅員さんで、蕗ノ台地区・蕗ノ台駅の現状を事細かに教えてもらった。

 蕗ノ台地区は木材の産出で終戦前後から賑わうようになり、最盛期には100戸を超える集落を形成したが、昭和30年代に入って急速に林業が衰退、離農が進んで人口が流出し、現在は駅前付近に7戸20人ほどが残るだけという。そのうち、この蕗ノ台駅を毎日利用しているのは名寄に通う高校生2人と病院通いのお年寄り数人くらいで、定期券の他はほとんど切符も売れないらしい。それでも、駅員は現在2人勤務体制で、駅長と助役が24時間交代勤務(夜間も有人)、もう1人の駅員(多分この方)が日勤のみで、いずれも今は名寄から通ってくるとのこと。昔は蕗ノ台駅にも簡素な"国鉄宿舎"があったらしいが、駅員縮小のため使用されなくなり、数年前に取り壊されてしまったという。また、以前は"貨物専用ホーム"もあって木材搬出で賑わったらしいが、3年前(昭和35年)から貨物および"電報"取扱が廃止されて、今は旅客手荷小荷(チッキ)のみを取り扱っているらしい。"局"(旭川鉄道管理局)の方からは「来年(昭和39年)春を目処に無人化」が通達されており、"蕗ノ台駅員"としてはこの冬が最後の勤務で、その後のことはまだ何も知らされていないという.....。

 駅員氏に丁寧にお礼を言って、今度はホームを見学させてもらうことにする。少し前まで木材搬出を扱っていたためか、構内は想像以上に広く、現在の少人数の駅員では手が廻らないのか、やや雑草が目立つものの、概ねきれいに整備されていて、晩年の姿を知る自分にとっては感慨深いものがあった。予想通りの"島式ホーム"で、以前は列車交換も行われていたようだが、駅舎寄りの線路(側線)は今は使われていないらしく、所々赤くレールが錆び付いているのがわかる。また、朱鞠内側に小さな"貨物専用ホーム"跡も確認できたが、背丈の高い草が周囲を覆っていて、引込み線がどこまで続いているのかもわからない状況.....。

 そこへ、名寄方向から見慣れない列車が奇妙な音を立ててホームに進入してきた。普通の気動車の車体よりひと回り小さく、外観はなんとなくバスに似ているがやや幅広で、いかにも軽そうな造りだ。車体番号は「キハ03 4」という見たこともない形式で、旅客用の乗降口もバスそっくりな「2枚折戸」になっているのが面白い。意外に多くの客が乗っているのには驚いたが、当駅での乗降はゼロ...。晩年の状況を一足先に垣間見るようだった。
 いつの間にかさっきの駅員氏がホームへ下りてきており、私に「乗らないんですか?」と声を掛けてくれたが、首を横に振ると間もなく、赤い旗を振って出発を合図。私も駅員氏と一緒に、ゆっくりと朱鞠内へ向かう小さな気動車を見えなくなるまで見送って、蕗ノ台駅を後にした.....。



★ これはフィクションです。紀行文の体裁を採っておりますが、内容はほとんど筆者の"空想"に依るもので、微妙に"真実"とは違う部分がたくさんあります。(画像はすべて筆者が作成・合成したものです。) あくまで"娯楽読物"として楽しんで頂きますようお願い致します。


 このバーチャル訪問記を書いた後に北海道在住のおくとん様からメールを頂き、往年の蕗ノ台地区・蕗ノ台駅の実態を知ることができました。(詳しくはおくとん様のサイト「道道資料北海道」の「蕗の台と道道起点」および「蕗の台・白樺の歴史再調」をご覧下さい。) それによりますと、実際には蕗ノ台駅の駅長配置は昭和36年に廃止となっており、無人化頃は助役さんの1人勤務だった模様です。また、昭和37年頃の駅周辺人口は既に"3戸13人"とのことで、こちらも私の"空想"を超えていました.....。あしからず、お許し下さい。