(特別エッセイ)【"夢"探訪 <士幌線幌加駅編>】


 .....気が付くと見覚えのある駅舎の前に立っていた。昭和45年に無人化され、昭和62年に廃止となった士幌線幌加駅だ。但し、晩年は糠平―十勝三股間が「バス代行」区間となったため、事実上は昭和53年に廃駅となった"幻の駅"である。できることならば「バス代行」となる前に、しかも"無人化"される前に訪問したかったとずっと夢見ていただけに、今、昭和58年の訪問時にも増して鮮やかな駅舎の佇まいを目の当たりにして、ただただ感激するばかり.....。

 まずは、駅前風景を観察する。以前は大量の木材貨物を扱っていたためか、駅前広場は異常なほど広い。しかし、駅舎正面から長く真直ぐに延びている"駅前通り"も含めて、全く舗装はなされておらず、一面の砂利敷きに所々自動車の大きな"轍"や窪みが目立つ。かなり大型の木材運搬用トラックが頻繁に出入りしていた感じだ。
 予想に反して、既に駅前には民家があまりなく、左手すぐの所に「船戸商店」という看板を掲げた立派な2階建の雑貨店が1軒、右奥に数軒の古い家屋も見えるが、いずれも人が住んでいるかどうかはかなり微妙。「日本盛」(清酒)の宣伝看板が目立つ唯一の"駅前商店"も、今日はたまたま休みなのか、それとも既に廃業してしまったのか、戸口のカーテンまで閉められていて、ひっそりとしている。他には、駅舎の左手に古い自転車が1台停められているだけで、周囲にひと気は全く感じられない。


 既に半分ほど開いている正面玄関から駅舎内に足を踏み入れてみると、左手に小さな出札口と"チッキ"の窓口、右手にやや大きな木製のベンチが1つあるだけで、思ったよりも内部は狭い。

 ちらっと出札口を覗くと、少し奥の方で年配の駅員氏が事務を執っているのが見えたため、「すみません。」と声を掛けてみる。
こちらが用件を切り出す前に「次の帯広行きは13:00発ですよ。」と云われて困惑。「いや、乗車するのではなくて、趣味で切符を集めているので何枚か売ってほしい」旨、丁重にお願いしたところ、やや不審な表情を浮かべながらも、なんとか了解して頂けた模様。この時代は、その手のマニアがほとんどいないはずなので無理もない...。早速、「十勝三股ゆき」「池田ゆき」「清水谷ゆき」の片道乗車券と硬券入場券を5枚講入してみる。日付はいずれも「45.-8.27.」で無人化のわずか2週間前。昭和45年5月から"モノクラス"制に移行したため、乗車券の「2等」表記はなくなっているが、地紋色は"青"のままでさほど大きな変化はないようだ。硬入の方は額面「30円券(2期)」で、昭和44年11月から小児料金(10円)が設定されたために、乗車券と同様の「大人小児用」に切り換えられた模様。この時期、既に当駅の乗降客はほとんどいなくなっているはずなのに、設備されている乗車券類(硬券)の種類はかなり豊富で、さっと覗いただけだが、A型・B型の常備片道乗車券が各10種ほど、D型の準常備片道乗車券が5〜6種、糠平・士幌・帯広までのA型常備往復乗車券が各1種、それにD型の準常備急行券および準常備一葉式急行券・指定席券と普通入場券(B型)が確認できた。意外なところでは、なぜか「清水谷ゆき」の"小児専用券"があるが、どう考えても需要はほとんどないはずなので、何か特別な理由があるのかもしれない。



 ちょっと朴訥でとっつきにくい駅員氏だったが、なんとか幌加駅・幌加地区の現況を尋ねてみる。あまりに根掘り葉掘り聞いたので、「お客さん、どちらの方?」と怪訝な顔をされてしまったが、やむを得ない.....。

 幌加地区の最盛期は昭和20年代で、30年代に入っても優に300人を越える集落を形成し、製材工場・商店のほか"小学校"まであったらしいが、糠平ダムの完成(昭和31年)と新しい国道(273号線)の開通をきっかけにして、製材の拠点が上士幌のほうに移転してしまい、木材需要の激減と相まって30年代後半から急激に人口が減少して、今では駅前付近に数戸と少し離れた幌加温泉郷に旅館が2〜3軒あるだけだという。昔は、駅周辺にもたくさんの建物があったというが、暫時取り壊されて、今は見る影もない。大勢いた駅員も漸減されて、現在は駅長と助役の2名のみだが、いまだにあらゆる貨物を扱う"一般駅"のため、駅長と交替で毎日のように貨車の積み下ろし作業を行っているとのこと。しかし、それも9月10日までで駅業務は廃止となり、完全に無人化されるが、新聞など日用必需品の荷物扱いだけは従来通り民間(駅前商店?)へ委託されることになっているらしい。

 助役氏の許可を得て、今度は改札口からホームの方へ出てみる。
大量の木材搬出を扱っていたにしては、構内はやや手狭な感じだ。現在は片面使用のホームが1面あるだけで、既に撤去されてしまったのか貨物専用のホームや引込み線はなく、大きな貨物はどこで積み下ろしされていたのか、今となってはよくわからない。ただ、駅舎の反対側に"待避線"様の線路が1本残っているので、大きな木材などは向こう側からクレーンで積み上げた可能性もある。現在、旅客列車は日に5往復が発着しているが、学生などの定期券利用者はわずか3人だけで、幌加温泉への湯治客を除くと乗降客は数えるほどしかいないという。隣の十勝三股駅も似たような状況らしいが、こちらは終着駅ということもあってか、今回の"無人化"は見合わせることになった模様。

 そこへ、十勝三股12:51発の上り列車が近づいてきた。昭和58年に訪問した際は既に「バス代行」となっていたので、音を立てて幌加駅に進入してくる気動車になにやら感動すら覚える。いつの間にか、さっきの助役さんも赤い旗を持ってホームにやって来ていたが、当然のように「当駅での乗降はゼロ」で特にすることもなく、ちょっと手持ち無沙汰な様子。糠平―十勝三股間は、いつもほとんどガラガラ状態だという。しかし、上士幌からは乗降客がかなり増えるので4両連結の必要があり、見た目にもすごい無駄な感じがする。
助役さんの合図の下、ゆっくりと糠平に向けて発進する列車を見送りながら、「これでは8年後に"バス代行"となるのも仕方ないな。」としみじみ思った.....。



★ これはフィクションです。紀行文の体裁を採っておりますが、内容はほとんど筆者の"空想"に依るもので、微妙に"真実"とは違う部分がたくさんあります。(画像はすべて筆者が作成・合成したものです。) あくまで"娯楽読物"として楽しんで頂きますようお願い致します。