8. 胆振線御園駅

〈位置〉 新大滝―北鈴川 間

〈開業〉 昭和16年10月12日(一般駅)
    →昭和55年5月15日(無人駅)
    →昭和61年11月1日(廃止)

〈乗車客数〉 23

〈概要〉

広大な胆振盆地の中央、羊蹄山と洞爺湖・支笏湖で囲まれた三角地帯のほぼ真ん中に位置する小駅で、後志支庁と胆振支庁の境界にも接している。駅名の"御園"は、アイヌ語の「オロ・ウエン・ヌプキ・ペツ」(底の様子が悪い濁った川)が語源とされ、最初"御路園"の漢字を当てたが、いつしか"路"の字を省いて"ミソノ"と呼ばれるようになったという。駅の西2キロあたりにむかし金山があったことから、現在の地名は字金山(あざ・かなやま)となっており、地元では駅名も"金山"としたかったらしいが、根室本線に同名の駅があるため断念したと言われている。 喜茂別の街中からそれ程離れていないため、周囲には比較的民家が多く、あまり"秘境"感はない。
沿線の中でもそれ程乗降量が多い駅ではないが、構内はかなり広く、2面の相対式ホームと待避線?があり、駅の規模としては不釣り合いな印象を受ける。新大滝―御園間がかなり離れており(13.4km・平均25分を要する)、保線基地的な役割を担っていたためと思われる。(廃線時まで運転関係の駅員が勤務していた模様。)
 下の2枚は廃止直前の貴重な写真(「駅舎内の発車時刻表」/「発車を待つキハ40形」)。(画像提供 / 齊藤氏)




◆齊藤様、本当にありがとうございました。


〈訪問記〉

昭和59年頃、札幌から車で洞爺湖見物に行く途中、国道230号線から少し寄り道して立ち寄ったことがある。こぢんまりとした殺風景な駅舎だったが、小さな出札窓口は未だ健在で、入場券はないが硬券はあるというので、新大滝ゆきの硬乗を購入した。ホームに出てみると、やけに構内が広くて一瞬戸惑ったのを覚えている。上下のホームがスレ違いにかなり離れているのも変な感じだ。(上の写真) また、駅名標の"しんおおたき"の部分が白く上書きされているのが気になる。この区間には、尾路園という道内時刻表にも掲載されていない仮乗降場があったはずだが、あるいはもうこの時点で廃止になっており、駅名標の書き換えが行われたのかもしれない。(トップの写真)
廃線後は1度も訪問する機会はないが、いろいろな廃線関係のサイトを検索してみると、現在駅舎は撤去されているものの、ホーム自体はまだ残っているとのことである。敢えてリンクはしないが、興味のある方は廃止前後を比較してご覧いただきたい。


* "尾路園(オロエン)仮乗降場"について

新大滝―御園間にあった仮乗降場で、マニアの間ではかなり有名。尾路"遠"という字を当てるデータもある。開設はなんと昭和16年(停留場。昭和19年7月に一旦廃止? 昭和53年10月頃開設とする説もあり)とされており、昭和58年に発刊された小学館の「北海道690駅」では巻末の"北海道仮乗降場一覧"(P.226)にはっきりと記載されているものの、昭和53年10月頃に廃止されたという説や同じく昭和55年9月頃という説や、昭和60年末頃まであったとする説などがあり、どれが正しいのかはっきりしない。私が昭和60年7月頃に胆振線に乗車した際には、かなり注意して観察したにもかかわらず、車窓から確認することはできなかった。

所在地については、廃線後に実地調査をされた方がおられて、大体の地点は判明している模様(新大滝より8.7km、御園より4.6km)。いずれにしても、周囲に人家も見当たらない深い山の中で、一体どういう人が利用していたのか、これまた謎である。20年近く、いろいろな印刷物を漁ったり、インターネット上を検索してみたが、実物の写真や画像を目にしたことは1度もなく、ほとんど幻の存在となっている。短い木組みのホームだったであろうことは想像に難くないが、きちんとした駅名標はなかったとする説や、あるにはあったが規格外の小さなものだったという説もあり、興味は尽きない。(上は筆者の想像図) もし、このHPをご覧の諸兄の中で、尾路園仮乗降場についての詳細な情報や写真・画像などをお持ちの方がおられましたら、是非メールにてご一報ください。


上記、尾路園仮乗降場の実在に関する貴重な文献について、澤田氏より追加情報をいただきました。北海道新聞社発行「北海道・鉄道跡を紀行する」(堀 淳一著)という本の中で、尾路園仮乗降場が「まぼろしの駅・オッパイ山賛行―胆振線」と題して紹介されているとのことです。白黒で少し小さいですが、下の道路から見上げた尾路園仮乗降場のホームと駅名標がはっきりと確認できます(昭和52年10月頃)。残念ながら、平成3年頃の発刊なので、現在は取り寄せ不可のようです。

◆澤田様、いつも本当にありがとうございます。


少なくとも昭和30年代まで「尾路園仮乗降場に隣接して常設の"保線詰所"があった」という耳寄りな情報を山本氏からいただきました。当時、尾路遠地区には小集落があり、氏の御祖父が保線員として常駐されていたとのことです。以下、氏のご好意によりメールの内容をご紹介します。

 右の画像は、尾路遠の保線詰所前で山本氏の御祖父と同僚の方々を写したものだそうで、看板に「新大滝線路分区 尾路遠線(路区?)」の文字("園"ではなく"遠")がはっきり読み取れます。また、建物に"作業予定表"のようなものが掛けられており、画像が小さくてわかりにくいですが、上部に「9月29日水曜日」とあることから昭和29年頃に撮られたものではないか、という話でした。(昭和40年以前で9月29日が水曜日に当たるのは昭和23・29・40年のみで、氏の御母上のご記憶では昭和33年頃?)
メールによりますと「(氏の御母上の話では)尾路園仮乗降場のホームと保線詰所は線路より南側(下の道路からは反対側の山寄り)にあったとのことでした。少し離れた低い位置にあるオロエンの集落(鉄道官舎があった)から階段をのぼり、線路を横断してホームにたどり着くということのようです。詰所は西側、ホームは東側にあったようです。集落から線路へのぼる道は二本あり、東側の道は階段が作られていたが、西側の道はきちんとした階段が無かった?ので普段は通らなかったということです。ホームの構造は憶えていないということでした。長さは当然短かったようですが... 。(御祖父・御母上様共に)尾路遠の乗降場がいつ頃まであったのかははっきりと分からないようでした(詰所は昭和40年以前に廃止?)。」

 また、この保線詰所の"痕跡"として、「国土交通省サイトの空中写真を見ると、胆振線の線路の北に平行して道路があり、写真左の方を見るとこの道路から南の方に林道が出ていて途中線路と交わっています。ここから線路を東の方にたどると大きなカーブがあります。このあたり、よく見ると線路沿いに建物らしきものがあるような気がします。ここが尾路園仮乗降場の保線詰所かなとも思うのですが...。」と指摘されております。この空中写真は昭和52年の撮影ですので、尾路園仮乗降場がまだ廃止されていなければどこかに写っている可能性が高いのですが、筆者にはよくわかりませんでした。皆様のご意見をお待ちしております。

◆山本様、本当にありがとうございました。


 「航空写真画像情報所在検索・案内システム」には、終戦後間もなく(昭和22〜23年)に米軍が撮影した航空写真も掲載されており、解像度は少し低いですが、尾路園仮乗降場付近もしっかり撮影対象となっていることを三角先頭氏から教えて頂きました。氏によると「平行道路に建っている官舎らしき建物、そこから線路に延びる道路と線路沿いの幾つかの施設が見えるように感じます」とのことでしたが、確認してみますと確かに上記の航空写真(昭和52年撮影)にはない複数の構造物がはっきりと写っており、下記の「尾路遠線路班」もしくはその前身施設である可能性が極めて高いと思われます。

◆三角先頭様、本当にありがとうございました。


 さらに、在りし日の尾路園仮乗降場について、日高三股駅長氏から追加情報をいただきました。以下、メールの内容を紹介いたします。
「尾路園ですが、レイル1978.11月号の"買収私鉄探求シリーズ5胆振線"の中の小熊米雄氏が書かれている項で、胆振縦貫鉄道の当時は"尾路鳶"と読んでいたらしく『保線の尾路鳶丁場が線路下の道路沿いにある所のわずかな平坦部に駅名標がある...』と書かれ、伊達紋別起点43.8キロだそうです。また、"おろえん"の漢字ですが、1978年当時、札幌鉄道管理局運転部では"尾路遠"、札幌鉄道管理局施設部では"尾路園"としていたらしいです。しかし、何ゆえ違うのかは明記してありませんが...。」

◆日高三股駅長様、いつも貴重な情報をありがとうございます。


 本文で「駅名標の"しんおおたき"の部分が白く上書きされているのが気になる」と書きましたが、須藤氏の情報により某HPで"上書き前"の御園駅および新大滝駅の駅名標(昭和48年頃の写真)が掲載されていることを知り、早速拝見したところ、案の定以前はそこに"おろえん"と書かれていたことを確認しました。(正規駅の)駅名標の隣駅部分に堂々と仮乗降場名が表示されることは極めて稀な(通常は無視される)ため、そういう意味でも貴重な発見と思われます。

◆須藤様、本当にありがとうございました。(御礼が遅れてすみませんでした。)


 その後さらに、庄司氏より昭和32年10月1日改正の"札幌鉄道管理局列車運転時刻表"に同乗降場が「尾路遠線路班」として記載されているとの情報をいただききました。(左画像提供 / 庄司氏)それによると「尾路遠線路班」の位置は伊達紋別起点43.696キロで、上下5往復のうち4往復8本の列車が停車していた模様です。お恥ずかしながら筆者は「線路班」の用語は初耳でしたが、ネット上で色々調べてみた感じではやはり"保線区の出張所"ようなもので、上記の山本氏が指摘した常設の"保線詰所"と同じものではないかと思われます。(看板の「新大滝線路分区 尾路遠線路○」の最後の1文字は「区」ではなく、恐らく「班」が正解。)
 また、庄司氏によると当時の札鉄局管内では、尾路遠の他にも"白井川"(上目名―熱郛間)、"賀老"(上目名―目名間)、"竹切"(蘭越―昆布間)、"越路"(昆布―狩太間)、"峠下"(倶知安―小沢間)、"瀬戸"(小沢―銀山間)、"山道"(銀山―然別間)、"東岡"(岩見沢―峰延間)、"空知太"(砂川―滝川間)、"焼山"(砂川―文殊)、"豊住"(豊浦―大岸間)、"富浦"(幌別―登別間)、"一本松"(苫小牧―沼ノ端間)、"東植内"(沼ノ端―遠浅間)、"小安平"(追分―川端間)の15ヶ所の線路班で「職員の通勤及び職員子弟の通学その他のため」に一部の旅客列車を停車させていたとのことです。白井川・賀老など函館本線の深い山間部にあった線路班停車場も非常に興味をそそられます。

◆庄司様、本当にありがとうございました。


 さらに、「線路班」に関して、かつて函館本線にあった"越路線路班"(昆布―狩太間)から実際に乗下車した経験がある上原氏よりメールをいただきました。それによると、越路線路班にはホームがあり、停車は下りが午前7時10分頃、上りが午後6時頃の2便のみ。氏は昭和29年から35年までの6年間、倶知安まで通学していたとのことでした。また、当時、越路線路班には2、3軒の鉄道官舎しかなく、切符は乗車後に購入、利用客は1人から多くても5人ほどだったようです。

◆上原様、本当にありがとうございました。


 その後、FUJINO氏からメールを頂き、ついに「某HP上で"尾路園仮乗降場のホームと駅名標"を撮ったカラー写真(冬景)が掲載されている」ことを知りました。但し、FUJINO氏がこのHPを発見したのは2年程前(平成20年頃?)で、現在はアドレス不明とのことです。画像も拝見しましたが、かなり画質は悪いものの長年夢見た光景だけに、思わず「えっ!」と叫んでしまいました。掲載できないのが非常に残念ですが、恐らく下り(倶知安行)列車の車窓から撮影されたもの(年代不明)で、写真から判明したところでは、1.ホームは明らかに"土盛り"で、配置は(駅名標の隣駅表示から判断して)新大滝から御園方向線路の左側(やはり"山側")、2.ローマ字併記のしっかりとした駅名標(下)、3.駅名標のすぐ御園寄り(西側)にかなり大きな木造駅舎(待合所?)、この建物は上記「尾路遠線路班」の詰所と同じものかどうかはよくわかりませんでした。いずれにしても大変貴重な写真と思われます。
 また、FUJINO氏は昭和58年に胆振線に乗車した際、当時の尾路園仮乗降場(跡)の状況は確認できなかったものの、車掌氏に同乗降場についてかなり踏み込んだ質問をしており、かなり昔の話なのではっきり確証はないとしつつも、概ね以下のような回答を得たといいます。

1.尾路園仮乗降場は昭和58年8月時点では、既に公式には廃止となっており、定期列車の発着はなくなっていた。(当時の札鉄局が事務的に昭和57年11月ダイヤ改正時に"冬季休止"のまま廃止にしたらしい。)
2.廃止の理由は当然利用者がほとんどいなくなってしまったことが主因と思われるが、この頃胆振線の運行車両が"キハ22"から重くて馬力の弱い"キハ40"に変わり、冬季の積雪時に車重のため勾配区間(尾路園仮乗降場付近も)でスリップを起こしやすくなり、一旦停車すると坂が上れなくなる懸念が生じたことも一因に挙げられる。
3."仮乗降場"廃止後も、保線詰所(廃止後建物は"物置"として機能)として作業係員の乗降の便宜を図るため、業務停車する扱いは残っていたとみられる。
4.旅客の定期発着は行わないが、「根曲がり竹の子の山菜シーズンなどには下車したい要望があれば停める。また、駅跡?で誰かが乗車する意思を見せれば停車して乗せる。」(これには筆者も驚きました。)

 FUJINO氏によると、尾路園仮乗降場はやはり「本来は保線作業者用の乗降所であるが、かなり昔から(現場の判断で)一般乗降客の便宜も図る柔軟な運用が行われていたため、慣例として廃止後も要望があれば客扱いを行ったのであろう。」と結んでおられます。筆者もこの説に同感です。

右: FUJINO氏提供の画像を基に筆者が再現した尾路園仮乗降場の駅名標。FUJINO氏によると、オリジナルは非常に画質が悪く、「おろえん」は読めるが問題の漢字(「尾路園」か「尾路遠」か)は識別不能*1とのことでした。思ったより"立派"な造りですが、さすがに照明設備まではなく、また、ローマ字併記はあるものの"駅所在地表示"がないことから、明らかに昭和40年代位までの旧タイプの駅名標であることがわかります。

*1 その後再度メールを頂戴し、よく観察すると「尾路"園"」である可能性が高いというご指摘を受けました。

◆FUJINO様、本当にありがとうございました。


 その後さらに、北の旅人氏からメールを頂き、上記写真の出処を教えて頂きました。("YAHOO!ブログ"の「北海道鉄道とスタンプの写真集」の「胆振線尾路園仮乗降場」) また、同ページには「道道・清原喜茂別線から見た尾路園仮乗降場」のカラー画像も掲載されており、少し小さいですが、上記写真の駅名標と建物が確認できます。

◆北の旅人様、今回も本当にありがとうございました。


〈御園駅のきっぷ〉

普通入場券 100円券(昭和54年発行)。一応、昭和55年5月14日をもって"無人"駅の扱いとなったため、この日が入場券の最終日となっている(最終額面は100円券)。前述のように、実際にはそれ以降も廃線時まで、縮小した形で乗車券類の発売は行われていた模様。


(簡)御園駅発行の新大滝ゆき普通片道乗車券(昭和59年発行)。簡易委託券なので小児断線はなく、"ム"(無人駅)の記号が付けられている。かなり長い期間売られていたので、それ程珍しいものではない。行政区画上でも新大滝(胆振支庁有珠郡大滝村)―御園(後志支庁虻田郡喜茂別町)間は分断されており、この2駅間を行き来する旅客はそれ程多くない。券番は 0017 で、実際あまり売れていない感じだ。


倶知安駅発行の新大滝ゆき普通片道乗車券(昭和61年発行)。廃止直前のものは、"ム券"ではなく、倶知安駅(管理駅)発行の大人小児用となっている。


倶知安駅発行の喜茂別/留産間ゆき普通片道乗車券(昭和61年発行)。(上・左共に 画像提供 / 齊藤氏)