18. 深名線白樺駅

〈位置〉 蕗ノ台(朱鞠内)―北母子里 間

〈開業〉 昭和16年10月10日(一般駅)
    →昭和35年12月10日(旅客駅?)
    →昭和36年4月1日(無人駅)
    →昭和52年12月1日(季節営業)
    →平成2年3月10日(廃止)

〈乗車客数〉 限りなく0に近いと思われる

〈概要〉

文字通り、周辺に白樺の自然林が多かったためにこの名が付いたのではないかと思われるが、真相は不明。"蕗ノ台"と同様、戦前戦後にかけて小規模の開拓集落が形成されたようだが、農林業の衰退から人口が激減し、駅の利用者がほとんどいなくなってしまった。いつ頃まで"定期利用客"がいたのかちょっと興味深いが、少なくとも昭和50年代には「乗降客0」が常態となって、たまに周辺地域から"山菜採り"などで利用される程度だったという。

〈訪問記1〉

こうした背景で、昭和36年には早々と無人化されたが、その後20年以上も廃駅を免れてきたのはやはり不思議という他ない。以前は立派な木造駅舎が建って、列車の交換も行われた模様だが、晩年は仮乗降場並の簡素な”移動式”ホームとなっている。文献によると、1ヶ月間に乗降客が1人もいないということも珍しくなかったらしいが、それにもかかわらず何十年も毎日定時にきちんと停発車を繰り返したきた律儀さというか無駄?には驚かされる。冬季休業(当初 12/1〜4/20、昭和63年からは 4/30までに延長)となったのも比較的晩年のことだが、北海道でも有数の豪雪地帯にあって、周囲何キロも民家が全くないうえ列車の停車本数も限られていることから、もともと「冬季の乗降はあり得なかった(無謀に近い)」と思われる。それでも夏場は、"秘境駅"に降りてみたい筆者のようなマニアが結構いたらしく、この撮影時にもリュックを背負った若者がホームに降り立ち、心配する車掌から「ホントに降りるの?何もないヨ。」と念押されている姿が印象的だった。


〈訪問記2〉

廃止直前の平成6年9月、最後の深名線乗車を果たした。もともと路線長が長いうえに朱鞠内駅での乗り継ぎがスムーズにいかなかったため、この区間が夕方近くになってしまったのがちょっと残念。左車窓に釘付けになりながら約15〜20分後、蕗ノ台、白樺両駅跡付近では若干列車のスピードが落ちたようにも感じられたが、見るほどのものもなく、あっという間のことだった()。翌々日には、じっくり観察するため、レンタカーでまず蕗ノ台駅跡を訪ねた後、白樺駅跡にも立ち寄った。蕗ノ台からは道路がきれいに舗装されていて、寄り付きには問題ない。廃駅から4年を経てもなぜか「白樺駅0.1Km」の道路標識は残っていたが、蕗ノ台駅と同様、旧構内は草で覆われてほとんど何もない状態だった。

* 平成6年9月19日[5735D]車窓から見た白樺駅跡(動画7秒)(shirakaba.mpg/1.24MB)

上画像矢印付近にあるコンクリート製階段(右図)。唯一の"遺構"らしき構造物で、しかも"有人駅"の時代からそのままのようだ(下記参照)。白樺駅跡は、その後数年でレール等も撤去されてしまったらしく、この階段も現存しているかどうか微妙。


* 全盛期の白樺駅

 平成14年に発刊された北海道新聞社編の「写真で見る北海道の鉄道(上巻)」(P.253)に昭和30年10月撮影の白樺駅構内を撮った写真2枚が掲載されており、筆者にはかなりショックだった。整然として賑やかな様子があまりにも現状とかけ離れていることと、時代が古すぎて恐らく有人駅時代の写真など出て来ないだろうと思っていたからである。画像を掲載できないのが非常に残念だが、この写真から在りし日の白樺駅の全体図を復元してみた(左図・一部想像)。従来から言われていた島式ホームと駅舎の間に側線が1本走っているのに加えて、蕗ノ台寄りの合流ポイント付近に屋根付きの構造物が写っており、筆者には「貨物専用ホーム」に見えたのだが、どうであろうか? もう1枚の写真には、ホーム上で"レールバス"(燃費削減のため当時導入された)の停車を待つ10人程の通学生(?)が写っている。 手前の帽子を被った人物は駅員のようにも見えるのだが.....。皆様のご意見を伺いたい。


 上で「時代が古すぎて恐らく有人駅時代の写真など出て来ないだろう」と書きましたが、その後、上記「写真で見る...」の他に、とある切符コレクターの方のHP(転載・リンクの許可を得ていませんのでアドレス掲載は遠慮しますが)に在りし日の白樺駅の写真が掲載されていることを日高三股駅長氏に教えて頂きました。早速拝見したところ、名寄方向から撮ったと思われる冬景で、上に掲載した構内想像図の駅舎本屋の北母子里寄りにさらに2つの建物(便所と保線詰所?)があったこともわかりました。

◆日高三股駅長様、いつも貴重な情報をありがとうございます。


 極最近(2008年9月)の白樺駅跡の状況を広瀬氏から教えて頂きましたので、ここにご紹介致します。
1.上記のホームに下りるコンクリート製階段はまだ健在。
2.その他にはなぜか"転轍機標識"だけがぽつんと残っている。場所は北母子里側で、側線との分岐部分に使われていたものではないかとのことでした。
3.たまたま"茸採り"に来ていたおじさんから「貨物(木材)のホームがあっちにあった」という話を聞いた由、やはり上記想像図の「貨物取扱専用ホーム?」の辺りを指差したそうです。また、この"貨物取扱専用ホームへ下りる業務用階段?"らしき簡素な造りの急階段も残っているとのこと。

◆広瀬様、貴重な情報をありがとうございました。


 その後、上記の「手前の帽子を被った人物」は"白樺駅長"であることを北の旅人氏から教えて頂きました。北海道新聞社のホームページによると、この方は5代目の駅長さんで、昭和26年4月から31年5月まで5年間勤務されていたそうです。また、その後2人の駅長が交代し、7代目駅長で無人化されて、記録上は昭和36年には既に"駅長無配置"になっているとのことでした。

◆北の旅人様、いつも貴重な情報をありがとうございました。


 往年の白樺地区・白樺駅の状況については、おくとん様のサイト「道道資料北海道」の「蕗の台・白樺の歴史再調」に非常に詳しく書かれていますので、是非ご参照下さい。それによりますと、白樺地区の最盛期はやはり昭和25〜30年頃で、集落の規模は蕗ノ台地区と同程度だったようですが、"自治区"は昭和37年に一足早く消滅しており、翌昭和38年には居住者が全くいなくなったとのことでした。

◆おくとん様、大変貴重な情報を本当にありがとうございました。HPリンク・ご紹介にも深く感謝致します。


 その後、往年の白樺地区・白樺駅の状況について、さらに北見大橋様より貴重な情報を頂きました。
 それによりますと、「幌加内町史」には当駅の沿革として「(蕗ノ台駅と同様に)この駅も木材の積み込みを中心として造材と関係の深い駅であった。昭和29年の15号台風による風倒木の処理後は、農業経営のための入地者もないままに駅勢も下り坂をたどり、昭和36年から無人駅となった。」とあり、やはり昭和36年(4月)にいきなり完全無人化されたことがわかります。また、白樺地区の人口は昭和30年の国勢調査で「14世帯100人」となっており、蕗ノ台(49世帯227人)よりは若干小さい集落ですが、駅の規模や旅客・貨物の取扱量はほとんど同じだったようです。
 なお、「幌加内町史」には白樺駅の駅舎写真や歴代駅長の実名と就任期間(昭和16年10月〜35年2月〜合計7名)の他、旅客・貨物営業成績や駅関係建物の状況(下記)まで掲載されており、往年の駅データとしては最高レベルの資料です。

年度 乗車人員 降車人員(人) 貨物発送屯数 貨物到着屯数 旅客収入 貨物収入
昭31年 11,568人 11,258人 12,009t 3,105t 352,076円 7,176,220円
昭32年 10,026人 9,871人 17,026t 1,286t 302,838円 11,383,950円

[駅関係建物の状況」
駅本屋 50.9平方メートル
吹抜倉庫 10.2平方メートル
便所 6.7平方メートル
石炭庫 8.2平方メートル
構内線路延長 462メートル

◆北見大橋様、いつも貴重な情報を本当にありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。


〈白樺駅のきっぷ〉

普通入場券 10円券(昭和35年発行)。無人化時期が早いこともあって、この駅発行の乗車券類で残存しているものは極めて少ない。恐らく全国で数十枚以下ではないかと思う。(左図はマニア氏より頂戴したコピー)

※ なお、白樺駅を含めた深名線の硬入発売状況につきましては、日高三股駅長氏のHP(「秘境日高三股へようこそ!」)に詳しい研究・解説がありますので、是非ご参照ください。