20. 士幌線十勝三股駅

〈位置〉 終着駅

〈開業〉 昭和14年11月18日(一般駅)
    →昭和53年12月25日(無人駅・バス代行化)
    →昭和62年3月23日(廃止)

〈乗車客数〉 3


〈概要〉

幌加駅よりさらに内陸へ7km、周囲を1500〜2000m級の山々に囲まれた盆地のほぼ中央に設けられた終着駅で、「北海道駅名の起源」(当時)では、この駅が「北海道で1番高いところにある駅(661.8m)」とされていた。丁度、音更川の支流が三方向から合流する場所にあり、"三股"の地名もその辺りが語源ではないかと想像できる。やはり昔は原木の積み出しで賑わったというが、ピークは昭和20〜30年代と見られ、昭和39年頃には200戸1000人以上もいた三股地区の人口は、昭和48年の原木出荷停止と共に激減し、駅の無人化頃(昭和54年)にはわずか5戸14人になったという。
 この頃、糠平―十勝三股間の収支係数は赤字分で帯広―糠平間の約20倍にも達したため、釧路鉄道管理局独自の判断で"全国初のバス代行"が実現した。輸送量が極めて少ない割に除雪等の維持費が大き過ぎたのが原因だが、本来ならば「国鉄バス」が代行すべきところ、あまりにも乗降客の見込みが少ないために地元「上士幌タクシーのマイクロバス」へ委託することになったのだという。それにしても、ものすごい"落差"である。バス代行化に伴い"スキー場入口"(糠平―幌加間)、"幌加温泉入口"(幌加―十勝三股間)の2停留所(バス停)が新設され、18.6km区間を所要時間33分で結んだが、ほとんどの便は"空車"でなければ"鉄道ファン"ばかりだったと言われている。また、あくまで"代行"措置であるため、運賃は鉄道線と同額とされ、鉄道区間と"通しの運賃計算"が適用されていたのは当然である。


〈訪問記1〉

昭和58年9月頃に最初の訪問が実現したが、鉄道線が既に休止になっていたのが残念でならない。"代行バス"は十勝三股駅舎のやや手前の専用停留所に停車するため、ホームまでは少し歩かなければならなかった。線路・駅舎等の施設は糠平から先、すべて当時のままで、草木は生い茂り、線路は錆び付いて痛々しい限りであった。着いてみると、駅舎には板が打ち付けられて、完全に閉鎖状態。駅前の国鉄職員宿舎なども含めて周囲は荒れ放題になっているが、ホームや駅名標などはそのままになっており、列車が発着していた5年前の状態をかろうじて保っていた。ホームは"土盛り島式"の一面だけだったが、構内は非常に広く、多くの側線・引込線の他、幌加寄りには"転車台"まであった模様。まさに"兵どもが夢の跡"といった感じだった。
 「とかち」を敢えて小さく表記している駅名標が印象的。このタイプの駅名標は道内では稀であったと思われる。旧国名を冠したのは、日豊本線の餅原―都城間に同名の"三股(みまた)"駅があった(この時期=昭和47〜61年は"東都城"に改称中)ためだろうが、遠い南九州の駅にまで遠慮しなければならないとは本当に律儀なことである。


左の写真は当時の十勝三股駅代行バス停留所。駅本屋とは少し離れた国道273号線沿いにある。右側に見えるのが民間委託の国鉄代行マイクロバス。("上士幌タクシー"所有)


〈訪問記2〉

十勝三股駅のその後の状況を知りたくなって、平成6年9月にレンタカーで再訪してみたが、駅舎・ホームは言うに及ばず、駅の施設はことごとく撤去されてしまっていて、どうしても位置関係を把握することすらできなかった。(写真も何枚か撮ったが、"的外れ"の可能性が高いので掲載は省略。)しかし、当時はまだ数軒の民家が残っていて、ひどく寂しいという印象はなかったように思う。ただ、近くの国道沿いにある1軒の瀟洒な建物が"場違い"な感じで、妙に印象的だった。後で知ったが、昔代行バスの運転手さんだった方が経営している喫茶店("三股山荘")とのことで、現在ではそのご一家が「三股地区唯一の住人」だという。一帯は徐々に元の原野に還りつつあるが、意外にも公園として遊歩道なども整備されつつあり、峠を越える観光客ドライバーの憩いの場所になっている由である。


昭和56〜58年?頃にNHKで『北海道7:30』という番組があり、その中で「バス代行となって間もない時期の糠平―十勝三股間の状況が放映されていた」という情報を澤田氏から頂きました。
「糠平駅よりモーター付き?のトロッコでアナウンサー?と糠平駅長が十勝三股駅まで行ったり、十勝三股でのリポート、幌加温泉の湯治などの内容でした。当時の三股地区は現在の"三股山荘"のご一家とおばあさん(当時70過ぎ?)の2世帯のみで、そのおばあさんが休止最終日に列車に手を振って見送ったエピソードも紹介されていました。トロッコで十勝三股駅に向かう途中で鉄橋を渡るシーンなどもあったようですがよく思い出せません。休止となり保線作業も行われなくなった時期に"よく行ったな"と思います。」

◆澤田様、本当にありがとうございました。


〈十勝三股駅のきっぷ〉

普通入場券 30円券(昭和46年発行)。終着駅ということもあって比較的数はたくさん残っており、オークションなどでもよく見掛ける。但し、やはり最終額面券(80円券)だけは稀少で、昔ほどではないものの、かなり高額で取引されている模様。



普通入場券 80円券(昭和53年発行)。その80円券の、しかも間違いなく無人化最終日に当駅出札口で発売された入場券及び駅スタンプ画像を"十勝晴駅駅長"様に送って頂きました。これは当時の駅長さんが台紙を作り、駅印を押してたった一枚だけ作ってくれた手作りのものだそうです。


※ なお、"十勝晴駅駅長"様は2014年から自宅敷地内(北海道音更町)に「(小さな鉄道博物館) 十勝晴駅」を作り、一般に開放して鉄道ジオラマや鉄道部品を展示する一方、その一部は実際に触ったり動かしたりして楽しめるそうです。入場は無料、原則日曜日だけの開館ですが、正月やGWなど臨時開館の予定もあり、詳しくは「十勝晴駅」等でWeb検索をお奨めします。

◆"十勝晴駅駅長"様、今回も貴重な画像を本当にありがとうございました。


糠平―十勝三股間の簡易委託片道乗車券(昭和62年最終日発行)。バス代行区間であるためか、当時道内では稀な"相互式"で印刷されている。"十勝三股駅発行"となっているが、当時駅舎では簡易委託が行われていなかったので、たぶん上記の代行バス事務所兼待合所で発売されたものと思われるが...どうであろうか。"小児専用券"まで用意されていたことはちょっと驚きだ。(裏面に「無効」印あり。券番は 1339 で廃止直前にかなり売れたらしい。)


※ その後、"へい"様からメールを頂き、「上記の硬乗は昭和60年8月頃には"代行バスの車内"で売られていた」ことがわかりました。

◆"へい"様、本当にありがとうございました。