7.  湧網線床丹駅

〈位置〉 計呂地―佐呂間 間

〈開業〉 昭和11年10月17日(一般駅)
    →昭和47年2月8日(無人駅)
    →昭和62年3月20日(廃止)

〈乗車客数〉 不明(多くても数人?)

〈概要〉

サロマ湖の西岸から床丹川に沿ってわずかに内陸寄りの地点にある小駅で、 沿線では人口の多い計呂地・佐呂間の集落に比較的近いため、民家もそこそこあってそれ程の"秘境"感はない。 湖に近いとはいえ、この辺りまでくると漁村という雰囲気はなく、木立の中に小規模な畑が点在する北海道ではありふれた光景が広がる。"床丹"という駅名はアイヌ語で、トゥ・コタン(廃村)もしくはト・コタン(沼・村)が起源と言われており、道内では各地でよく見かける地名だが、音の響きが美しく、サロマ湖の雄大な自然にマッチして心惹かれるものがある。なお、集落としての地名は、現在は"若里"になっており、長い間隣の仮乗降場の駅名に使われていた。
 片面使用の短い土盛りのホームと、こぢんまりとした古い木造駅舎が印象的な駅であった。(トップの写真:鉄道マニア氏より拝借) 下の2枚は廃線間際の貴重な駅舎写真。(画像提供 / 日高三股駅長氏)




◆日高三股駅長様、本当にありがとうございました。


〈訪問記〉

かつてこの駅の両隣には浜床丹/若里という2つの仮乗降場があって、昭和59年頃、写真を撮りに訪れたことがあった(下2枚)が、床丹駅にはとうとう立ち寄る機会がなかった。当時は他にも、知来・仁倉・北見共立など味わい深い古い木造駅舎がたくさん残っていたのに、どうしてもう1歩足を伸ばしておかなかったのか、いつもの如く悔やまれてならない。廃線から約7年を経て、ひょっとして駅舎等が残っているかもしれないという淡い期待を抱きながら床丹駅跡を訪ねてみたが、予想以上の変貌ぶりに正直がっかりした。バス停の位置から大体の地点はわかったのだが、決め手となる遺構がほとんど失われていたため、たまたま農作業をしていた近くの農家の方に恐る恐る尋ねて、ようやく駅舎跡とおぼしき場所に辿り着いた。駅前にあった何かわからない小さな木と右手の大きなエゾ松?は当時のままだった(2枚目の写真)が、ホーム付近はゲートボール場と化しており、路盤跡もすっかり草に埋もれて往時を偲ぶすべもなかった。





最近、某HPで浜床丹仮乗降場にあった待合室が廃線後床丹駅跡に移されていたことを知った。どこかで見たような気はしていたのだが...。(2枚目及び左上写真の赤い矢印 ) この待合室は、地元(駅前商店)の方が佐呂間町から買い取り、暫く物置として利用していたらしいが、その後、路盤跡を利用して新しい付け替え道路の工事が始まった平成12年頃に撤去されてしまったとのことである。


〈床丹駅のきっぷ〉

普通入場券 20円券(昭和44年発行・コピー)。同駅における出札営業(きっぷの発売)の最終日は昭和47年2月7日で、入場券は30円券(大人小児用)まで確認されている。


佐呂間駅発行の床丹ゆき普通片道乗車券(昭和59年発行)。常備券にする程の需要があったかどうかは疑問だ。廃止直前まで設備されていたので、それ程珍しいものではない。


また、近距離の簡易委託乗車券については、かなり晩年まで発売されていた模様(駅前商店に委託?)。


※ 床丹駅の簡易委託乗車券については、実際に廃線前に床丹駅で下車した経験がある日高三股駅長様から、間違いなく駅前商店で販売されていた旨のメールをいただきました。ありがとうございました。(左画像提供 / 日高三股駅長氏)