(特別企画)【駅名標のはなし】


1.駅名標について

 停車場に掲げられている看板類の中でも、特に"駅名標"(ホーム上で駅名などを表示した標識)は旅客にとってなくてはならないものである。鉄道誕生以来現在に至るまで、諸外国では概ね駅名だけを記した簡素なものが大半だが、わが国では国鉄・私鉄を問わず"隣駅表示・ローマ字併記"を核とした立派な駅名標を掲げる慣習が定着しており、デザイン的にも優れたものが多い。筆者は昔から熱心な"駅名標マニア"でもあったので、旅先で"美しい駅名標・面白い駅名標"を見つけるとカメラを向けずにはおられなかった。とりわけ昭和50年代の国鉄の駅名標は"緻密で秀麗"な文字体が目を見張る。その一方で、規格外のちょっと変わった駅名標も少なくなかった。今回はそうして撮り溜めた写真の一部(九州・北海道中心)をご紹介すると共に、主に"国鉄"における駅名標の規格と実態について考えてみたいと思う。


2.駅名標の歴史と規格

 国鉄は全国に5千以上もの停車場(駅)を抱える大きな公共企業体だったので、北海道から九州まで統一的な運営を行う必要から、ほとんどあらゆる事項について官公庁に準じた詳細な規則・規程があった。駅名標の規格についても"鉄道掲示基準規程"(戦時下に制定された旧・"鉄道掲示規程"*1)を昭和42年4月に改めたもの / 但し以下の条文等は「昭和48年9月29日旅達第78号」更新より抜粋)に詳しく規定されていたが、これがちょっとびっくりするほど細かくて驚く(後述)。さすがに明治・大正期にはこれほど厳密な規程はなかったようで、最初は"ひらがな"(+漢字)だけの簡単なものが、昭和に入ってからはローマ字も併記されるようになり、昭和2年の3ヶ月間だけは"カタカナ"表記に変更されたり、戦時中はローマ字表記が変更・中止された時期もあったという*2)。戦後は昭和21年4月以降頻繁に"鉄道掲示規程"が改められ、現在の表音式"左から右書き"が定着して(例:「うやきうと」->「とうきょう」)、ローマ字は全て大文字、文字タイプも筆文字の楷書体から徐々に丸ゴシック体(昭和29年採用)に変わっていった。ただ、この時代はまだ看板業者の手書きによるものがほとんどだったので、文字体の見本なども配布されたはずだが、地域により書体や文字サイズのばらつきも目立つ。その後、ローマ字の下部に駅所在地行政区域名表記(例:「東京都中央区」)が加わったのは1970年代前半頃からで、これはちょっと"やり過ぎ"(不要)の感もあったのか、国鉄が民営化されてJR各社毎に独自のデザインが採用されるようになってからは、概ね地名表記は廃止される一方、視認性も重視されて"ひらがな"表記の縮小(廃止)・漢字の大書化と同時に色帯やマーク(絵柄)を使った多彩なものが増えてきている。

 国鉄の規則では、駅名標は"(鉄道)掲示標"の中の"駅案内標"の一種という位置付けで、「駅(営業所及びさん橋を含む。以下同じ。)における各種施設その他の案内等をするために、その構内に掲出するもの」と定められている。"鉄道掲示基準規程"第7条(別表第2)によると「駅案内標->駅名標->鉄道用」は次のように分類されており、普通"駅名標"といえば大体第2種"つり下げ用"と第4種"建植用"(いわゆる鳥居型)及び別表第6の"電気掲示器"(電照式)を指すことが多い。(私見かもしれないが、第1種"屋外用"は「駅表札」、第3種"柱用"は「駅名札(駅名板)」のほうが一般的ではなかろうか。) "駅名標"の呼称は国鉄部内でも一般的なものとは思われるが、実は意外なことに"鉄道掲示基準規程"自体にも"駅名標"の単語はほとんど出て来ないうえ、民間でも一般向けの雑誌では「駅名板」などと記しているものが多いことから、比較的"通(ツウ)"な言い方と云えるかもしれない。


* 第1種 屋外用 *

 駅の入口上部に掲出するもので、これだけは細かいサイズの規定がなく、「駅舎の構造及び周囲の建物との調和を勘案して適宜」となっている。2行に分けて「OO駅/OO STATION」と掲げるのが基本で、近年は白地に黒文字が多いが、以前は青地に白文字のものも多かった。("切り抜き文字"も使用可。) また、「駅名に冠する旧国名又は地名は小書きとする*3)。」となっていて、これは第1〜4種に共通の規程と思われる。

左: 大分市佐賀関の"関崎海星館"に移設されていた日豊本線幸崎駅の第1種駅名標(平成23年頃)。最も典型的なタイプで、平成20年に旧幸崎駅舎が解体された際に払い下げられたものらしいが、現在はなくなっている模様。


* 第2種 つり下げ用 *

 ホームの上屋などに掲出するもので、2タイプあり、"隣駅表示"のあるポピュラーなものはサイズが1号型(縦90cm/横120cm)または2号型(縦80cm/横110cm)もしくは431号型(電気掲示器用:縦75cm/横133cm)。大きなターミナル駅などでたまに見られる駅名だけのもの(「OO駅/(漢字)/(ローマ字)」)は3号型(縦70cm/横110cm)もしくは431号型(電気掲示器用:縦75cm/横133cm)と決められている*4)。また、"つり下げ用"とはなっているが、駅舎の壁などに直接貼り付けられているものもこれに準ずると思われる。近年設置のものはほとんどが"電気掲示器"タイプで、当然のことながらホームに上屋(雨避け)などがない小さな駅には存在しないことから、概ね中規模以上の駅に多いと言えるが、秘境駅クラスでも稀に見られる。

左: 函館本線旭川駅に掲げられていた電気掲示器式第2種駅名標(昭和58年頃)。昭和35年以降の規程によるフォントは"すみ丸ゴシック体"(後述)と呼ばれる国鉄独自のもので、デザインも含め「硬過ぎて面白くない」という人も多いかもしれないが、"精緻な感じ"が大きな駅に似つかわしく、筆者にとっては最も好感が持てるタイプ。ちなみに、旭川駅の読みは明治31年開業当時は「あさひかわ」だったのに明治37年になぜか「あさひがわ」に改称され、昭和63年になって漸く"東旭川・新旭川"と共に「元に戻った」経緯がある。昭和32年に仮乗降場として開業した旭川四条のほうはちゃんと「あさひかわよじょう」となっていて、隣駅表示との対比が面白い。当時、この辺りの事情を駅員に尋ねてみたところ、長らく放置されたのはやはり「駅掲示物の書き替えなどに掛かる費用」の問題だったという。


* 第3種 柱用 *

 ホームの柱や上屋外の電柱等に掲出するもので、サイズは9号型(縦15cm/横75cm)または210号型(電気掲示器用:縦15cm/横70cm)。鋼板にガラス質の釉薬を焼き付けてコーティングする"ホーロー引き"という手法で作られており、衝撃に強く錆びにくいという利点がある。青地に白文字(昭和42〜48年は黒地に白文字もしくはその逆)の"ひらがな"縦書きで、どの車窓からでも視認できるよう少なくとも1車両分間隔(20〜30mおき)で設置すると決められている。したがって、大抵は1つのホームに複数枚(大きな駅では十数枚X2か)あり、大きさも手頃なので、交換や廃駅に際して愛好家の手に渡る機会も多い。

左: 日高本線東町仮乗降場に設置されていた第3種駅名標(昭和60年頃)。当時は札鉄局設定の数少ない"仮乗降場"の1つで、比較的利用者も多かったのか、ホームは鉄骨組みながら有効長も長く、普通駅並みの立派な規格で作られていた。ちゃんと正規の第4種駅名標(1枚)もあり、加えて"柱用"まで設置されていたのは、信号場を除く仮乗降場としては破格の扱いだったと思われる。規程によると「掲示標には鉄道公告を併合し、又は添附してこれを掲出してはならない。」とあるが、これも鉄道管理局長等の判断か、北海道では概ね"サッポロビール"の広告とセットになっていて、"橙色の枠付き"でサイズも若干大きめとのこと。なお、JR北海道の第3種駅名標には今も国鉄時代の(元祖)"すみ丸ゴシック体"が使われているという。


* 第4種 建植用 *

 「けんしょくよう」と読むらしい。規程ではこれも3タイプに分かれていて、大昔からあるいわゆる"鳥居型"のもの(ア)は「ホーム上屋外」、"鳥居型"に似ているが"コ"の字型の支柱に吊り下げられているタイプ(イ)は「構内の適当な場所」に掲示されるもので、いずれも「第1種、第2種及び第3種の駅名標を設置できない場合に限る。」という但し書きがあり、近年は大きな駅はもちろんのこと中・小規模の駅でも減少の傾向にある*5)。サイズは1号型(縦90cm/横120cm)または431号型(電気掲示器用:縦75cm/横133cm)*6)。もう1つは「新幹線駅でこだま号のみの停車駅のホーム両端」に設置する特殊なもの(ウ)で、サイズはかなり大型(縦133cm/横200cm)。また、(ウ)は必ず照明を要するが、(ア)(イ)も「必要により照明を施すことができる」と規定されており、大きな駅では"電気掲示器"タイプもあるが、近年は大体上端1灯"照明付き"のものが多い。

左: 羽越本線象潟駅に設置されていた第4種駅名標(昭和58年頃)。昭和48年規程によると思われる典型的な"鳥居型"で、新規作製のものは既に重厚な木製がほとんど見られなくなっており、このように廃レールや鉄パイプなどを利用した金属製が多くなっていた。"鳥居型"駅名標の一番上の横木は"笠木"といい、昔は断面が"五角形"に決められていたという。また、明治44年頃からは両側の"縦柱"の足元を黒で塗装するという規程もあり、この駅名標もそれに従って作製されているのがわかる。


左: 深名線朱鞠内駅に設置されていた第4種駅名標(昭和58年頃)。上端の左右の"突き出し"がないため、伝統的な"鳥居型"とはちょっと異なるが、近年は丸パイプを"コ"の字型に屈曲したこのタイプの支柱が多い。左はやはり"駅案内標"の一種で「観光案内のためのもの」。規程にはサイズ等の取り決めはなかったようだが、「国鉄線の利用案内(列車、もより駅、観光ルート等)を表示させること」などの細かい指示はあった。


 上記、駅名標の歴史を綴った部分に「明治・大正期にはこれほど厳密な規程はなかったようで、最初は"ひらがな"(+漢字)だけの簡単なもの」と書いてしまいましたが、その後 ekinenpyou様より「必ずしもそうではない」旨のご指摘を頂戴しました。よく調べもせずに記述してしまったことを深くお詫び申し上げます。(再三に渡り、汗顔の至りです。)
 ekinenpyou様によりますと、明治44年9月8日達653 哩程標其他諸標改正ノ件という鉄道院の通達があり、その中で「駅名標ハ特別ノ場合ヲ除キ各乗降場ニ二個設置スルモノトス」となっていること、および「図面ハ関係ノ向ヘノミ配布ス」という駅名標の図面資料(下)も紹介して頂き、「どの駅でも図面通りのローマ字や所在地、隣駅までの距離が併記された立派な駅名標だったわけではないと思いますが、戦前は各地の駅でこの図面を模したものが設置されていたのかもしれません。なお、現在では駅名標から消えてしまった隣駅までの距離は戦時中防諜上の理由で抹消されたらしく、復活を望む職員の意見が※戦後の国鉄刊行雑誌(国鉄線S29-p33/S34-p32)に掲載されておりましたが『キロ程まで入れるとその他の文字を小さくしなければならず、駅名が目立たなくなりわかりにくくなる』という理由などで復活しなかった模様です。」というコメントも頂戴しました。
 また、大正時代の東部鉄道管理局規程類抄に「駅名標並名所案内標ハ明治四十四年九月達第六五三号所定ノ様式寸法ニ依リ之ヲ建植スヘシ 但シ上屋アル駅ノ乗降場ニハ掛札ヲ代用スルコトヲ得」という規程があること、同書の別ページにその"駅名掛札"(幅三尺/高さ一尺五寸で隣駅表示がなく"ひらがな+漢字(+欧文)"だけの比較的単純なもの)が図示されていることも指摘されており、「乗降客でにぎわう大きな駅は上屋のあるホームが多く、"駅名掛札"=駅名標だったケースも少なくなかったのかもしれません。(立派な建植駅名標は上屋の無い小駅・上屋の途切れたホーム端などに目立たず置かれていたかも。)」という補足も頂きました。
 さらに、北海道での所在地表記が「国郡・国区」となっていた理由(下記参照)は、「郡部では所在地に町村名まで記載しなかった(資料)ようなので、単純に『北海道は同一郡名が複数国に存在するので区別のため』と考えても良いかもしれません。」とのことでした。なるほど、現在でも北海道には上川郡が3ヶ所(石狩国・十勝国・天塩国)、中川郡が2ヶ所(十勝国・天塩国)など重複して存在しますので、ご指摘の通り「国」名を冠して区別したほうがよかろうという判断があったものと思われます。


 「哩(マイル)/分」による距離表示まであったことには正直驚きました。矢印が"手のイラスト"になっているのも今よりも"ハイカラ"な感じです。所在地名の表示も「市内ニ二個以上ノ停車場アルトキハ市区(区ヲ別タサルトキハ府県市)其他ハ府県郡(北海道ハ国郡叉ハ国区)ヲ記スモノトス」(備考)とあって、この時代からちゃんと規程があったようです。また、北海道の場合には"国郡叉ハ国区"となっているのもちょっと目を引きます。北海道は明治2年に管内"11国86郡"が制定されており、"国"の呼称は他の府県同様に古代の令制を踏襲したもので、いつ頃まで使用されたのかは定かではありませんが(法的には明治30年の"支庁制"施行までか)、このような規程があるということは明治晩年頃でも例えば「十勝国河西郡」「石狩国札幌区」のように表示された駅名標があったのかもしれません。(下記【第2種及び第4種駅名標の表示方について】を参照。) 

◆"ekinenpyou"様、度々の貴重なご指摘、本当に痛み入ります。これからも何卒よろしくお願い致します。


※ その後、再び ekinenpyou様よりメールを頂戴し、上記戦前の駅名標の実例も紹介して頂きました。函館市中央図書館デジタル資料館蔵の「釧網線・北浜・斜里・間 開通記念絵葉書」(大正14年11月)の中に当時の斜里停車場を撮った写真があり、上記"明治四十四年九月達第六五三号"に拠るものと思われる駅名標も写っています。画像が小さくてやや不鮮明ですが、最大倍率に拡大してよく観察すると、中央の所在地名が「北見国 / 斜里郡」、左側の隣駅表示が「やむべつ / 七哩ニ分」となっているように見えます。(万葉仮名風の「りや志」表記も面白いです。) また、当時発行されたその他複数の絵葉書資料からも同様の実例を確認できました。さらに、少なくとも明治41年頃までには既に"ローマ字併記"の実例があること、昭和5年以降は隣駅までの距離表示が"キロ分"に変更されたことも併せてご教示頂きました。ekinenpyou様には改めまして深く御礼申し上げます。

※ 現代日本人にはちょっと奇異に感じられる"変体仮名"ですが、大正5年12月に出された「駅名仮名文字及羅馬字ニ就テ」という通達には上記の「志(し)」の他に「於(お)」「江(え)」も掲載されており、「志」については"駅名の語頭のみに用いる"などの但し書きもあったようです。ローマ字についても、例えば「Izumo-Imaichi」の「本名(Imaichi)ノ頭字(I)ハ"花文字"(装飾文字)ニスルコト」などの面白い規程があったことが「されど鉄道文字 駅名標から広がる世界」(中西あきこ著・鉄道ジャーナル社・2016年)に紹介されています。

※ さらにその後、再び ekinenpyou様よりご連絡を頂き、上記「明治44年9月8日達653 哩程標其他諸標改正ノ件」よりさらに古い文献が存在することをご教示頂きました。1つは明治39年7月27日逓信省鉄道作業局達104 「駅名標形状寸法様式ノ件」で、実際にその図面も残っていますが、この時期では"ひらがな+漢字+欧文(ローマ字)"標記のみで「隣駅表示は規定されていなかった」ことがわかります。また、それよりさらに古い資料・明治31年5月6日逓信省鉄道作業局鉄工達1024 「各駅々名札記載例並ニ形状寸法ノ件」図面では"ひらがな+欧文(ローマ字)"しかなく、なんと最初は「漢字表記もなかった」ようです。加えて、この達では"駅名標"が"駅名札"となっている(その他"駅名榜示(ほうじ)札"となっている用例もあるそうです)他、今後駅名標を新設・建換する際は"駅名札形状及寸法"を明治29年8月鉄第2097号に規定されているものに統一すること、"各駅々名字体調"や"仮名文字々体"(上記「志」を含む)を別表記載方(全駅分)に従って作製することなどが定められています。
ekinenpyou様には度々貴重な資料をご紹介頂き、感謝の念に絶えません。重ねて深く御礼申し上げます。


注)
*1 これより以前は「鉄道掲示例規」(戦前/制定時期不明)という規程があったらしく、駅名標についても同じように細分類(甲・乙・丙・丁・戊)され、その形状や寸法、塗色、書式などが詳しく明示されていたという。「あの駅この駅雑学百科」(伊藤東作著・1980年・日本交通公社出版事業局)によると、
 甲: 駅の入口に掲げるもの。漢字で駅名を黒字で書くが、必要に応じローマ字を付記する。
 乙: さらに以下の4種類に細分
    第一種 / 天井に懸垂するもの。
    第二種 / (不明)
    第三種 / 柱や電柱に取り付ける縦長の群青地に平仮名で白書したもの。
    第四種 / ホームに立っている鳥居風の看板。
 丙: 貨物上屋、信号所など通過列車から見やすい場所に掲げるもの。
 丁: 自動車駅用。
 戊: 自動車駅用。
のように定められており、当時最もポピュラーだった「乙第四種」は表示部分の規定サイズが"縦60cm/横110cm"(木製)で、鉄道掲示基準規程・第4種(建植用)よりやや小型で横長なものとなっていた。

※ その後、再び ekinenpyou様より上記「鉄道掲示例規」に拠るものと思われる駅名標の図面資料(下)も紹介して頂きました。「ただ、同書は戦中の本(昭和17年初版刊行)で駅名標からローマ字の記載や隣駅距離は消えているものの、駅名がなぜか現在と同じ左書きで、忠実に再現しているか信憑性にやや疑問があります。また、分類に『丁』は無く『戊一種・二種』となっていて、HPで不明とお書きになっている『乙二種』は"一種から隣駅表記を略したもの"と思われます。」というコメントも頂戴しました。当時の政府による"戦時統制"を反映した大変貴重な資料で、ekinenpyou様には重ねて深く御礼申し上げます。

*2 背景には大正末期から昭和初期にかけての"国粋主義"の隆盛がある。「片仮名による横書き」の普及を目指す"カナモジカイ"(大正9年設立旧・仮名文字協会)の建議により鉄道掲示例規が改正?(昭和2年4月7日達296号)されて、駅名標は一旦「表音式左横書きカタカナ」表記となったが、「いまに国粋大臣は鉄道を廃して駕籠に乗るかも」と陰口を叩かれた小川平吉・鉄道大臣により、わずか3ヵ月後には従来の「右横書きひらがな」(昭和2年7月2日達571号)に戻されてしまった。(昭和5年4月には"歴史的仮名遣い"も復活。) また、戦時中(昭和12年以降)はローマ字が"ヘボン式"から"日本式(訓令式)"(例:「FUJI」->「HUZI」)とされたり、「鉄道物語 はじめて汽車に乗ったあの日」(佐藤美知男著・2002年・河出書房新社)によると太平洋戦争中は"(併記自体が)なくなった"という。

 その後、高見彰彦様よりメールを頂戴し、上記の記述に関する間違いなどを指摘して頂きましたので、ここにお詫びして訂正させて頂きます。また、高見様は2016年10月発行の「レイル100号」(プレス・アイゼンバーン)に「駅名標の移り変わり」という記事を執筆されておられますので、興味のある方は是非購入をお奨めします。
・「あの駅この駅雑学百科」の鉄道掲示例規に関する記述と図は大阪鉄道局「鉄道用語辞典」から一部を転載したものである。
・「昭和5年以降は隣駅までの距離表示が"キロ分"に変更された」 → 鉄道省では昭和2年に「距離表示」自体が廃止されたはず。高見様によると、確かに私鉄(新京阪鉄道など)では例があるが、鉄道省の「キロ分」表示例は見つからないとのことでした。
・「昭和5年4月には"歴史的仮名遣い"も復活」 → 「昭和4年4月」の誤り。
・「(昭和12年以降)はローマ字が"ヘボン式"から"日本式(訓令式)"」 → 訓令式の公布は12年だが、鉄道省での採用は「13年」。
・昭和8年頃の鎌倉駅の駅名標を見ると、隣駅表示は「右横書きひらがな」のみで距離表示などはない、「KAMAKURA」のローマ字併記がある。

◆高見様、貴重なご指摘、本当にありがとうございました。


※ さらにその後、再び高見様よりメールを頂戴し、戦時中の駅名標における英文併記やローマ字の取り扱いに関する貴重な新聞記事を紹介して頂きました。筆者も、戦争が長期化するにつれて英語が「敵性語」と看做され巷から排除されるようになった経緯は知っておりましたが、当時の文献を見るのは初めてで、英文やローマ字標記に対する当局の考え方を示す貴重な資料と思われます。(法的な著作権期限は過ぎていると思われますので、新聞記事のコピーをそのまま以下に掲載致しました。もし不都合な場合はご連絡を頂ければ削除致します。) これらによりますと、意外にも「ローマ字は国字である」と記されており、当時でも駅掲示物のローマ字そのもの(アルファベット)を排除する意図はなかったようです。(高見様は、「アメリカ人が作った"ヘボン式"の代わりに、日本人が作った"訓令式"が昭和12年に国の公式なローマ字として公布された」背景を指摘されておられます。) しかしながら、「外国人にわざわざ便宜を図る必要はないのでローマ字も抑制すべき」という議論があったこと、排除するにしても「全国にある膨大な掲示物から一斉に英字を除くとなると莫大な費用と人手が掛かる」など、現場レベルでは困惑の様子も窺われます。

◆高見様、度々ありがとうございます。重ねて深く御礼申し上げます。


*3 可読性を高めるための規程と思われるが、旧国名(下@)以外のケースでは現地の鉄道管理局の判断に委ねられているらしく、"地域"名を小書きするかどうかについて、あまり統一がとれていない。 (下A: 頭に冠する"地域"名の「頴娃」を小書きした例。逆に、田川後藤寺・田川伊田駅など小書きしなかったケースも多い。) また、指宿枕崎線などでは、規程に過剰反応したためか、頭に冠する"東西南北"まで小書きしたものもあった(下B)。

*4 昭和48年以前の規程によるものでは、これよりもかなり横長サイズ("421号型":縦50cm/横133cm か)のものも見受けられた(下@)。モダンな感じが大都市部の駅に似つかわしく、最近ではむしろポピュラーになっているようだ(下B)。但し、稀には地方の小駅で見掛けることもあった(下A)。また、下Cは行政区域名が所定位置に併記されているので、昭和48年規程によるものかもしれないが、やはり"431号型"ではない。地方の駅で、一体どういう理由があってこの横長タイプが選択されたのかちょっと不思議に思う。

*5 "鉄道掲示基準規程"第7条・別表第2には駅案内表(駅名標)の表示例が各図示されているが、第4種(建植用)の(ア)と(イ)の違いについては当初から"字句による説明がない"模様で、実際に両者を折衷したような形の駅名標も多く見受けられることから、わざわざ2つに分類した意図がよくわからない。


*6 特に"建植用"の駅名標サイズについては概ね旧・鉄道掲示規程などを継承しているものと想像されるが、古い駅名標の中には極一部ながら、どう見ても縦横比率のおかしいものがあった(左)。(但し、"仮乗降場"などは除く。) "風合瀬・驫木"など難読駅名が多い五能線では、昭和50年代まで漢字やローマ字併記を省略した異常に"横長"の駅名標があった模様。


【第2種及び第4種駅名標の表示方について】

 鉄道掲示基準規程第7条・別表第2に、以下のような細かい規程がある。
(1) 隣駅が2駅以上ある場合はそれぞれの駅名を2列に併記する*7)。
(2) 漢字と併記する平仮名による駅名は漢字より大きく書く*8)。
(3) 隣駅を示す矢印の上に括弧書きで行政区域を表示する*9)。この場合の表示方は、政令指定都市で区制をとっている所では「OO市(都)OO区」、その他の地区では「O県OO市」または「OO県OO郡OO町(村)」の例により表示する*10)。但し北海道内に掲出する場合は単に「OO市」又は「O郡OO町(村)」の例により「北海道」は省略する*11)。
(4) 特定都区市内適用駅については自駅名の右側下方に下記の略号を表示する。
 ・[札]札幌市内 ・[仙]仙台市内 ・[浜]横浜市内 ・[名]名古屋市内 ・[京]京都市内 ・[阪]大阪市内 ・[神]神戸市内 ・[広]広島市内 ・[九]北九州市内 ・[福]福岡市内 (各、大きさは一辺が10cmの正方形)
 ・[山]東京山手線内 ・[区]東京都区内 (各、大きさは一辺が6cmと10cmの正方形2種類)
(5) 隣駅を示す矢印は、複線区間等で完全に一方通行の駅に限って列車の進行方向のみに表示する。

注)
*7 駅名標の隣駅表示は、細かく観察すると色々なパターンがあって結構面白い。2駅の場合は上下2列に表示するケース(下@)が多いが、稀に横2列の場合(下A)もある。但し、上下2列ではローマ字まで併記すると高さが増して下@のように全体のバランスが崩れてしまったり、横2列では下Aのように中心線がずれてしまうことがある。そのため、隣駅表示の部分はローマ字を併記しないケースも見受けられる(下BD)。また、上下2列の表示ではその間にさらに横線を加えることも多い(下C)。(下@はその横線も"矢印"になっている。ちなみに、終着駅などでは矢印が片側だけしかない場合もある(下E)。) 3駅の場合は2駅と1駅を上下2列に表示する例と上中下3段に表示する例(下)がある。4駅以上は極めて稀である。


左: 予讃本線高松駅に設置されていた電気掲示器式第2種駅名標(昭和60年頃)。3駅を3段に隣駅表示した例。"鬼無"は隣駅ではないが、"香西"駅が仮乗降場に近い扱いだったため、鬼無のほうを優先表示し、香西は最下段に"括弧付きローマ字併記なし"という変則表記になっていた。香西は高松の隣駅ながら、当時は駅周辺に田畑が広がり数軒の民家が点在するだけの寂しい駅で、2両分のホームしかなかったこともあり"通過扱い"の列車が多かったという。
 同様に、土讃本線土佐山田駅でも、通過列車が設定されている"(山田西町)・土佐長岡"の2駅を飛ばして"後免"が隣駅表示されている駅名標があった(上F)。地方では仮乗降場などを除くと比較的珍しい例と思われる。


*8 昭和48年規程以前では、逆に漢字を著しく大きくして平仮名がルビ(ふりがな)のように見えるものもあった。(中央本線東京競馬場前駅・山陰本線小串駅・小野田線妻崎駅・予土線半家駅・久大本線南由布駅・宮原線北里駅(左)・高千穂線吾味駅など、四国や九州に多い。) 前述の通り、近年ではむしろ漢字を大書きしたり平仮名表記をしないケースが増えている。また、"ニセコ"など漢字がない駅名の表記も問題になるが、実際、湖西線マキノ駅では昭和48年規程にもかかわらず平仮名を省略して片仮名(「マキノ」)だけを大書きした例がある。(但し、函館本線ニセコ駅では晩年「ニセコ」を漢字に準じて平仮名と2段表記していた。)

*9 昭和48年規程以前の第4種(建植用)では、左右の隣駅表示の中間部に縦書きで併記したものをしばしば見掛ける。(下@。当時の規程では"町村"の場合、"00県00郡"までの表記でよかったらしい。) この場合、終着駅でも下Aのような感じになるはずだが、稀に下Bのような変則的なものもあった。

*10 町村の場合、規程では「OO県OO郡OO町(村)」となっているが、しばしば町村名が抜けているもの(@「遠賀町」A「鞍手町」)や県名が抜けているもの(C「福岡県」)、逆に不必要な"字"(あざな)名まで表示されているもの(B「熊野」)もあった。(しかもBでは「宮崎県」が抜けており、「そさんじ」のローマ字も規程通りなら「...JI」ではなかろうか。但し、日南線運動公園駅(59.-3.18.開業)は撮影当時まだ"臨時乗降場"の扱いで、その後国鉄民営化に際して正式な駅に昇格しているため、この駅名標もすぐに刷新された可能性が高い。また、上山田線真崎駅の駅名標では隣駅表示の「ひがし」がわざわざ"小書き"されたり、「KUMAGAHATA」に不必要な?"ハイフン"が入っているのもやや異例。こういった微妙な"ズレ"は挙げ出すときりがない...。)


*11 「北海道」は入れなくても"自明"ということだろうが、堅苦しいものが多い公的機関の規範の中では珍しくスマートな規程と言える。函館・小樽・旭川・室蘭・留萌・名寄・稚内・北見・網走・帯広・釧路・根室など北海道には2文字の市制施行都市が多いが、これらの都市の駅では、この規程のお陰でわずか3文字表記「(00市)」で済んでしまう(左)。


【駅名標のフォントタイプ(文字型)及びローマ字について】

 鉄道掲示基準規程第11条の別表第7〜10及び附表2に、漢字の書体・ひらがなの書体・算用数字の書体・ローマ字の表記方*12)及び掲示表に使用する色彩などが詳細に定められている。例えば、国鉄の駅名標のフォントタイプは原則として"すみ丸(角)ゴシック体"(国鉄マルゴチ)を使用することになっており、「角ゴシック体の端部の隅の部分を文字線幅の1/4Rの小円で丸める」など非常に細かい規定があった。 (この"すみ丸ゴシック"という書体については、最近出版された「されど鉄道文字 駅名標から広がる世界」(鉄道ジャーナル社・2016年)という本に詳しい来歴が掲載されており、それによると、東京の新陽社(後述)で下請けの字書き職人をしていた"佐野稔"氏が昭和35年頃に発明して国鉄に採用されたものという。著者の"中西あきこ"氏は「"電気掲示器"でガラス板に代わって新たに採用されたアクリル板を糸鋸で文字形にカットしやすいように考え出されたものではないか」と推測されている。)
 下はこの昭和48年規程によると思われる駅名標の例で、@〜Cは第2種(つり下げ用)、D〜Fは第4種(建植用)。特に近年は、コンピューターと写真植字技術を使った極めて精密なものが多く、"きれい過ぎて滋味がない"という批判もあるが、むしろ"モダンでスマートでかっこいい"と感じるのは筆者だけだろうか。しかし、"手書き"による場合は、微妙な書体やR(アール)などの規程を完全にクリアすることはなかなか難しかったようだ(下F)。

注)
*12 ローマ字の綴り方は"改修ヘボン式"によることが定められている他、規程には以下のような細かい附則も掲載されている。
(1) 長音の符号には「-」(上横棒・マクロン)を用いる(例:下@)。
(2) はねる音(撥音「ん」)はB・P・Mの前はM(例:下A)、その他はNを用いる。
(3) はねる音M・Nとその次にくる母音(Yを含む)とを切り離す必要があるときは「-」(中横棒・ハイフン)を用いる(例:下@SHIN-OSAKA)。
(4) つまる音(促音「っ」)はCHの前はT(例:下B)を、その他の場合には次にくる子音を重ねる。
 私見ながら、(1)(3)及び(2)後段・(4)後段の規程は概ね遵守されているようだが、担当者の知識不足や勘違いなどから、例に外れたものも数多く見受けられる。特に(2)前段と(4)前段は一般にはあまり馴染みがない規則ではなかろうか。
 なお、第2種及び第4種駅名標におけるローマ字表記の位置は、規程第7条・別表第2によると「平仮名・漢字」に続く上から3段目が普通だが、下Cのように最下段(隣駅表示のさらに下)に表示することも認められていた模様。昭和40年代の電気掲示器式駅名標(下DE)ではよく見られた配置である。(四国ではこのタイプが比較的多く、中には規程にもかかわらずローマ字併記自体を省略した例もある。)


【電気掲示器の規格について】

 昭和50年代以降は比較的小さな駅でも電照式の駅名標を設置する例が増えており、これについても鉄道掲示基準規程第7条の別表第6に細かい規程があった。それによると、電気掲示器の号数は3桁で構成されており、百位の数字が「蛍光灯のワット数の10の位」、十位の数字が「蛍光灯の縦列個数」、一位の数字が「蛍光灯の横列個数」で、例えば"431号型"と言えば40ワットの蛍光管を「縦3列横1列」すなわち横長の蛍光灯3本を上中下に配列したものであることがわかる。なお、別表第6には「111・121・131・210・211・221・231・411・421・431・441・422・432・442・423・433・443」17通りもの号数とサイズが想定されているが、普通の駅名標(第2種及び第4種)で使用されるのは専ら"431号型"(左:縦75cm/横133cm)であった。表示面は乳白色のアクリル合成樹脂板、枠はアルミ製で、向かい合う辺を平行とする"H型"枠が採用されている。

 「されど鉄道文字 駅名標から広がる世界」(中西あきこ著・2016年・鉄道ジャーナル社)によると、電気掲示器に加工が容易なアクリル板が使われるようになったのは昭和35年からで、それ以前はガラス板に"青焼き・裏焼き"など複雑な処理を行ってから手間の掛かる塗装で仕上げていたという。"内照式"行灯型駅名標の始まりは大正7年頃(万世橋駅)で、白熱電球の灯りが下方まで届くように下へ行くほど細くなる"V字"型をしていた。アクリルはガラスに比べて軽量で割れにくく、加えて光を均等に透過するなどの長所もあるが、唯一、文字を切り抜いて貼り付ける工程に繊細な技術が要求されるため、短時間でスムーズに"糸鋸"を操作する必要性から"すみ丸ゴシック"という書体が誕生したらしい。当時は"新陽社(東京) ・ ミカド工業(大阪) ・ 西日本機器製作所(門司)"の3社が電気掲示器の指定業者となっていたが、同じ"すみ丸ゴシック体"でも業者により微妙な違いがあり、中でも"生みの親"である"佐野稔"氏が手掛けた新陽社の書体(東日本に多い)は、国鉄時代に"すみ丸ゴシック"を強力に推進した"育ての親"とも言える"須田寛"氏(元・JR東海/代表取締役社長)に高く評価され、民営化後もJR東海の駅名標に全面採用されている。なお、同書によると国鉄では昭和57年頃から"すみ丸ゴシック"より少し角ばった"JNR−L"という写植用の新書体も採用されたが、間もなく(昭和62年)国鉄が民営化されてしまったために広く普及しなかったという。


3.駅名標のバリエーション

 "鉄道掲示基準規程"は、乗車券類の様式を定めた「旅客営業規則」などと同様に「鉄道掲示例規」や「鉄道掲示規程」以来、数次に渡る改正が行われており、その都度駅名標の表示方にも大小の変化が生じてきたが、それに加えて実際には地域により個々の駅により、規程とは微妙に異なるバリーエーションが存在した。その一部は上記2.及び注)で既に紹介しているが、ここではそれら以外の面白い"変り種"や私鉄の例、駅名標の交換などにまつわる問題についてまとめておく。

(1) 駅名標の寿命と交換について

 "駅名標"の更新(作り直し)は、上記の@規程の改正(様式の変更)に基づくものの他、Aその表示内容に変更があったときやB腐食・破損や汚れ等により表示内容が判別し難くなった際などに行われるものであるが、国鉄の場合は"公共企業体"(準国営)の性格から法遵守と潤沢な営業資金を背景に、@はもちろんのことABのケースでも「即座に全面交換」に至ることが多かった。駅名標1枚のコストがどれ程のものか筆者はよく知らないが、表示部分の金属製プレート(電気掲示器では前面のアクリル板)だけでも数万から十数万円?の費用が掛かったものと推測されるため、駅に掲示されている全ての駅名標あるいは複数の駅をまとめてということになると結構なコストになることは確実で、資金力のなかった地方の零細中小私鉄では何十年にも渡って同じ駅名標を使用し続けた結果、晩年には見るも無残な状態になってしまったものを鉄道専門誌などでよく見掛ける。但し、国鉄の場合でも、Bは別にして比較的小範囲の表示内容の更新ならば白色塗料の上塗りや耐水性強力シールなどで対応したケースも多々あり、駅名の変更や駅の廃止・新駅の誕生など駅や路線の歴史を物語る貴重な資料となることもある。

 私鉄の駅名標は、乗車券類などと同様に"相当する時期の国鉄様式(規程)"に沿っているケースも少なくないが、特に地方の中小私鉄では"ローマ字やときに漢字併記まで省略した小型の簡易版"を目にすることが多い。何十年も経った古いものでは、ペンキの筆跡が退色して識別が困難になったり、木製プレートや支柱の破損等により文字が切れたり傾いたりしたものもあった。それはそれで鉄道ファンにとっては往時を偲び旅愁を誘う1つの魅力でもあったが、残念ながら現在ではそれらの多くの路線が廃止に追い込まれてしまい、昔ながらの味がある駅名標は段々と姿を消しつつある。

左: 昭和59年3月に廃止された鹿児島交通(南薩線)枕崎駅に残されていた駅名標(昭和60年4月頃)。これら地方の零細中小私鉄に掲げられていた駅名標の中には、晩年悲惨なことになっているものが少なくなかった。鹿児島交通の場合、さすがに駅員配置の駅(枕崎・加世田・日置・伊集院など)はそこそこの交換・補修がなされていたようだが、昭和50年頃までに無人化された鹿籠・金山・内山田などの中間駅は駅舎も含めてもはや"倒壊寸前"の状態だった(既になくなっているところもあった)という。

 冬季の積雪が著しい地域では特に駅名標の腐食(錆び)の進行が早いらしく、わずか数年で交換しなければならなかったケースもあった模様。北海道では北部・東部を中心に駅名標の更新が頻繁で、中には廃線を目前にやむなく作り直されたケース(士幌線黒石平駅など)や営業期間外は撤去されてしまうケース(深名線蕗ノ台・白樺駅など)もあった。豪雪地帯では駅員による駅名標の"掘り出し"も大変な作業なため、支柱を若干高めに作ることも行われていたという。

左: わずか10年間で著しく錆びが進行した相生線北見相生駅の駅名標(昭和59年及び平成6年頃)。但し、相生線は既に昭和60年4月に廃止されて駅員による保守管理がなされていないため、腐食の進行がさらに早まったとも考えられる。


 極稀だが、応急(暫定)措置や仮乗降場など特殊な場合に限って、他の駅の古い駅名標を転用するケースも確認されている。大抵は下の文字がきれいに塗り潰されてしまうため"出所不明"の場合が多いが、左はファンデーション処理が不十分なために下地が識別できた珍しい例(興浜北線豊浜仮乗降場)。元は右上隅の天北線浅茅野駅の駅名標だったことがわかる。

下: 路線や駅の廃止・新設、表示方の変更などに伴い駅名標の一部を修正した例。(胆振線御園駅:尾路園仮乗降場廃止に伴い「おろえん」を上書き修正。室蘭本線線静狩駅:誤記?により「あさひはま」に修正。松浦線佐々駅:臼ノ浦線廃止に伴い「うすのうら」を削除。) 金属製のものは白色塗料で一旦塗り潰さなければならないが、アクリル製のものは文字部分をスクレイパー等で掻き取るだけで済む場合もある。

(2) 駅名標のカラー

 一方、私鉄でも大都市圏の大手・準大手では、国鉄時代から文字や下地にカラーを多用し、都会風で洗練されたオリジナルの駅名標を掲げるところが少なくなかった。国鉄の場合、第2種及び第4種は原則的に「白地に黒文字」と決められていたが、地方の古い"壁掛け型"駅名標の中には「青(紺)地に白文字」のものが残っていたり、一時期、南武線や鶴見線などで「青文字」を使った例が知られている("昭和35年規程"に拠る古いものか)。また、電気掲示器の場合はほとんど全てが「白地に黒文字」と言ってよいが、千歳線などの一部の駅では逆に「黒地に白文字」(リバースタイプ)とした例がある。(左下:モダンで"かっこいい"が、点灯しないとちょっと"見づらい"ことがわかる。) 右下の日豊本線熊崎駅も「青地に白文字」で、電照式では比較的珍しいものと思われる。

(3) 駅名以外の文字が入っている駅名標

 駅名標では「OO駅」の「駅」に相当する部分は書かないのが普通だが、一部の信号場や仮乗降場・臨時乗降場でわざわざ「信号場(SIGNAL STATION / S.S)」「仮乗降場」「臨時乗降場」などの文字を加筆した例がある。北海道では石北本線の"上越信号場"(左下)が好例で、この駅名標は国鉄民営化後もそのまま掲げられていたが、平成18年頃までには相当に腐食が進行して文字の判読が困難となったため、現在は撤去されているという。また、既に廃止された石北本線常紋信号場や根室本線の鹿越信号場・狩勝信号場の駅名標にも「信号場」や「(SIGNAL STATION)」または「S.S」の文字が入っていた他、石北本線生田原駅の古い駅名標の隣駅表示が「じようもん信号場 S.S JOMON」、根室本線金山駅の隣駅表示が「しかごえ信号場 SHIKAGOE SS.」となっていたことも知られている。(駅名標は何度も作り直されているため、各数通りのパターンがある。) さらに、函館本線の仁山・姫川・桂川・本石倉・鷲ノ巣(平成28年3月廃止予定)・北豊津・渡島沼尻の駅名標にも、昔(昭和40年代まで)は「信号場」「SIGNAL STATION」または「SS」を併記した時代があったが、国鉄晩年は普通の駅と変わらないものになっていた。なお、昭和56年10月に開通した石勝線の各信号場にも、設置当初から完全に規格外ながら一応駅名標はあった。(下:左から滝ノ下・オサワ・東オサワ・東占冠・串内。現在は各"グリーンライン"が入ったJR北海道仕様に代わっている。「幻の駅」1. 石勝線東オサワ駅 参照。) 「仮乗降場」では筆者の知る限り"白糠線共栄仮乗降場"(4.参照)、「臨時乗降場(仮停車場)」では"上越線岩原スキー場前臨時乗降場"の例がある。
 上記以外の文字(規程に定められているものを除く)はほとんど例がないが、分岐駅などで稀に"路線名"を隣駅表示に追記したもの(下中央:室蘭本線志文駅)や連絡船の乗船駅で隣駅表示に「乗船口」を表示したもの(右下:函館本線函館駅)などがあった。


 ちなみに、根室本線の"常豊信号場"(昭和41年9月30日開設・浦幌―上厚内間)も主要道路から離れた山の中にあり、周囲には人家がほとんどないため、開設当初から全く旅客扱いを行わなかったにもかかわらず、極めて短い相対式ホームに正規の駅名標まで設置されている。(しかも現在は自動閉塞となっているため、タブレット交換等で使用されることもない。) 左は国鉄時代の駅名標だが、民営化後は律儀にJR北海道仕様のものに換えられているという。

(4) 貨物駅の駅名標

 貨物専用駅については、駅頭に掲げる第1種に相当するものはしばしば目にするものの、隣駅表示がある第2(行灯型)・4種(鳥居型)に相当するものは稀である。近年は旅客と貨物を両方扱う一般駅が激減したことに加えて、列車の運転系統も全く異なるため、一般の人が貨物駅を利用したり意識する機会はほとんどなくなっており、駅名標どころか乗降用のホームさえない貨物専用駅が少なくない。但し、一般駅で旅客の取扱いを廃止した後、貨物の取扱いだけを行うようになった極一部の駅では、一般駅時代の古い第2・3・4種の駅名標を暫くの間そのまま掲げている例があったのは確かである(幌内線幌内駅・日豊本線細島駅など)。

下: 国鉄晩年頃の貨物駅の様子と駅名を記した表札類。左から幌内線幌内駅(画像提供 / ミック氏)・室蘭本線陣屋町駅・石北本線浜網走駅・千歳線東札幌駅(画像提供/澤田氏)・北陸本線敦賀港駅(画像提供/澤田氏)。駅の素性を示す看板類は大抵の場合、駅頭や正面玄関の1ヶ所だけで、サイズも書式もまちまちである。

(5) その他の規格外の駅名標・ちょっと変わった駅名標

 特に昭和48年規程以後は全国的に"規格から異常に外れたもの"がほとんど見られなくなっており、製作の機械化と画一化が進んだ結果、駅名標に個性がなくなったことを残念に思っている人は多い。先日はたまたま「北干住」(干は千の間違い)が問題になったが、さすがに最近はこうした文字の間違いや表示内容の不備例は滅多にお目に掛かれなくなってしまった。(但し、仮乗降場の場合はしばしば"あっと驚く間違い"があった。4.参照) ほとんどは「文字の配置やサイズのバランスに多少違和感がある」という類のものである。

上: 函館本線上砂川支線の駅名標では、隣駅表示のローマ字が異常に縦長で大きいのが目に付いた。(何か意図があるのだろうか?) 上砂川駅ではドラマ(昭和59年)の舞台になった際に作製した駅名標(本物の裏面に「かなしべつ 悲別」)がそのままになっており、こちらも隣駅表示のローマ字が縦長で共通している点が面白い。また、東鶉駅では隣駅名がなぜか平仮名ではなく漢字で表記されており、これは明らかなミスと思われる。


4.仮乗降場の駅名標

 地方の各鉄道管理局が独自の判断で設置する"仮乗降場"は、必ずしも国鉄本社が定める停車場の統一規格に沿う必要はなかったと考えられるため、駅名標についても地域によってバラエティに富んだものが掲示されていた。仮乗降場の数が圧倒的に多かった北海道でも、各鉄道管理局(青函船舶・札幌・旭川・釧路)によって、また同じ鉄道管理局管内でも設置された時期などによって駅名標の様式(表示項目・サイズ・字体・デザイン等)にはかなりの"ばらつき"が見られる。(しかも、明らかな表記ミスも多く、それはそれで"味わい"があった。また、北海道の場合は、例外もあるが概ね「仮乗降場を隣駅表示しない」のも特徴。(特別企画)【不思議な小駅"仮乗降場"について】3.北海道の仮乗降場の規格(駅舎・ホーム・駅名標など) 4.ちょっと変わった仮乗降場 (6) 駅名標が変な仮乗降場参照。) 加えてその大半が、昭和30年代に設置されてから廃止または"駅"に昇格するまでの間に少なくとも1回は作り直されている模様で、老朽化の進行が著しい地域にあっては3回以上交換されているケースもあると思われることから、写真の類が残っていない廃止年代が非常に古いものも含めて、その全貌を明らかにするのはなかなか容易なことではない。

A. 正規の駅とほぼ同じ規格のもの

 旅客扱いを行う信号場や信号場廃止後も引き続き仮乗降場として存置されたものについては、青函局を中心に正規の駅とほとんど変わらない駅名標が設置されていたケースが多い。(但し、信号場の場合は「信号場」の文字やローマ字併記に「SIGNAL STATION」または「S.S」が追加されている例がある。) また、札鉄局・釧鉄局や旭鉄局の西部でも比較的規格通りのものが多かったが、中には字体やデザインがかなり独特なものもあり、それらは"1点もの"としてC.のほうに分類することにした。


 北海道以外の地域に設置されていた仮乗降場や臨時乗降場(【不思議な小駅"仮乗降場"について】1."仮乗降場"とは?を参照) については、数もそれほど多くはないが、概ね正規の駅と同様式の立派な駅名標が掲げられていたケースが多い。左は昭和47年4月に設置された山口線仁保津仮乗降場(上郷― 大歳間)の例。やはり国鉄民営化に伴って正規の駅に昇格し、駅名標も新しく作り直されている。

B. 道東に多く見られた小型サイズのもの

 特に旭鉄局管内東部の仮乗降場では、規程サイズの数分の一しかなく、ローマ字併記のない簡素な駅名標が多かった。(名寄本線・興浜南線・渚滑線・湧網線・相生線と石北本線の一部) 中には行政区域名が部分的に併記されたものもあったが、概ねサイズと字体が似ている特徴的なものを1つのグループとしてみた。ほとんどが昭和30〜40年代に一斉に作製されたものと思われる。

※ 平成26年に亡くなられた種村直樹氏の著書には仮乗降場の訪問記が多数掲載されていますが、その中の1つ「鈍行列車の旅」(日本交通公社出版事業局・1979年)に政和温泉(深名線雨煙別―政和間)と四号線(名寄本線中湧別―湧別間)の駅名標の写真(昭和51年3月撮影)があります。政和温泉は正規の駅とほぼ同じ(A.タイプ)、四号線は発車時刻表とセットになったような独特なもの(C.タイプ)でしたが、いずれも昭和58年当時(筆者撮影)のものとは違っています。ということは、昭和50年代に入ってからも駅名標の作り直しは思ったより頻繁に行われていたようです。北海道の場合、冬季の豪雪のため駅名標の腐食(錆び)や傷み(変形)が早い可能性が考えられます。道東の仮乗降場の駅名標が小さい平板に長い1本の支柱だけで作製された背景には、経済性の利点に加えて保守管理が容易になるという理由があるのかもしれません。

※ 国鉄時代には、逆に「正規の駅なのに仮乗降場の仕様?で作られた駅名標」もありました。湧網線北見平和駅(左下)は昭和24年に仮乗降場として設置されましたが、昭和29年1月に正式な駅に昇格し、昭和35年9月までは乗車券類の発売のほか荷物の取扱いも行っていました。駅員がいた時代は、駅舎に加えてもう少しちゃんとした駅名標もあったはずですが、恐らくは傷みが進んだために周辺の仮乗降場の駅名標と一緒に(ついでに?)同じ低規格で作り直すことになったものと思われます。また、札沼線南下徳富駅(右下)は昭和31年11月開業の比較的新しい無人駅で、こちらも当初は通常仕様の駅名標があった可能性が高いですが、その後なぜこのような簡易なものに置き替えられたのかは謎です。(当時は鶴沼―南下徳富間が管理局の境界となっていたため、もし南下徳富駅が札鉄局の管轄であったならばこんなことにはならなかったかも...。) ともあれ、現在は再びJR仕様の立派なものに交換されていますが、同時に開業してちゃんとした駅名標もあった中徳富駅のほうが先に廃止されてしまったのは皮肉なことです。

C. 他に同じ規格例を認めない1点もの

 全く規格に沿っていない"適当な"ものから、一応しっかりと作ってはあるが明らかに規程から外れたもの、字体やデザインが同時期の一般的な様式と違っているものなどを「1点もの」として分類した。「急に必要になって間に合わせで作った」もしくは「当時たまたまこの1駅分だけを特別発注(自作)した」などの事情がうかがわれる。それぞれに"味"があり、北海道以外ではあまり見掛けないので、特に筆者のような内地人には強く惹かれるものがある。

左・下: 平成28年度中の廃止が確実視されている留萌本線・留萌―増毛間の旧臨時乗降場(瀬越)・旧仮乗降場(阿分・信砂・朱文別・箸別)に掲げられていた国鉄時代の駅名標(昭和58年頃)。仮乗降場の場合、隣駅表示で"無視"されるケースも多かったが、この区間ではすべて表記されていた。但し、微妙な誤記や規程外の表示が多くて面白い。
・ 朱文別を除いて横線に"矢印"がない。
・ 阿分: 規程に従えば「AHUN」ではなく「AFUN」。(同時に作製された?信砂の隣駅表示ではちゃんと「AFUN」になっているのに...。)
・ 信砂: 「のぶしや」(「や」が大きい)。よく見ると隣駅表示の「SHAGUMA」の「G」が「C」になっている。
・ 朱文別: 「しゆもんべつ」(「ゆ」が大きい)。規程に従えば「SHUMONBETSU」の「N」は「M」。
・ 箸別: 規程に従えば隣駅表示は「MASHIKE」「SHUMOMBETSU」。また、「しゆうもんべつ」は「しゅもんべつ」の誤記。よく見ると「箸」の「日」の上に点もない。


(参考) 【国鉄・仮乗降場の駅名標一覧】 (昭和58年頃*の状況)

注)* それ以前に廃止されたものについては、廃止頃の推定様式。

    
線 区 駅 間 仮乗降場名 開設日付 廃止日付 駅名標型 注)
手宮線 南小樽―手宮 色内 24.-9.-1.   37.-5.15. 不明
根北線 以久科―下越川 西二線 33.--.--.   45.12.-1. なし 駅名標はなかった模様
根北線 下越川―越川 14号 33.--.--.   45.12.-1. なし 駅名標はなかった模様
根北線 下越川―越川 16号 33.--.--.   45.12.-1. なし 駅名標はなかった模様
函館本線 渡島大野―大沼 仁山(信) 18.--.--.  

函館本線 駒ケ岳―森 東山 24.-8.-1.  
漢字で「東山」だけの簡単なもの
函館本線 駒ケ岳―森 姫川(信) 26.-5.19.?  

函館本線 森―石谷 桂川(信) 19.-9.30.  

函館本線 石谷―石倉 本石倉(信) 23.-7.-1.  

函館本線 八雲―山崎 鷲ノ巣(信) 24.-8.-1.  

函館本線 黒岩―国縫 北豊津(信) 19.-7.-1.  

函館本線 鹿部―渡島砂原 渡島沼尻(信) 20.-6.-1.  

函館本線 伊納―近文 嵐山 33.-6.--.?   33.-8.--.以降 不明
札沼線 鶴沼―南下徳富 於札内 34.12.-1.  
行政区域表示なし。待合室に貼り付け
札沼線 北上徳富―雨龍 南雨龍 31.11.16.   47.-6.19. 不明 於札内と同タイプか?
札沼線 雨龍―石狩追分 中雨龍 31.11.16.   47.-6.19. 不明 於札内と同タイプか?
幌内線 岩見沢―萱野 栄町 55.10.-1.   62.-7.13.
胆振線 新大滝―御園 尾路園 16.10.12.   60.--.--.? 行政区域表示なし
日高本線 浦河―日高幌別 東町 52.-9.-1.  

深名線 深川―上多度志 円山 30.-8.20.   7.-9.-4. やや漢字が大きい
深名線 多度志―幌成 宇摩 30.-8.20.   7.-9.-4.
深名線 幌成―鷹泊 下幌成 30.-8.20.   7.-9.-4. 隣駅表示が漢字。待合室に貼り付け
深名線 沼牛―幌加内 新成生 30.-8.20.   7.-9.-4.
深名線 幌加内―雨煙別 上幌加内 30.-8.20.   7.-9.-4.
深名線 雨煙別―政和 政和温泉 36.12.-1.   2.-3.10.
深名線 雨煙別―政和 下政和 30.-8.20.   36.12.-1. 不明 共栄と同タイプか?
深名線 添牛内―朱鞠内 大曲 30.-8.20.   51.-2.-1. 不明 共栄と同タイプか?
深名線 添牛内―朱鞠内 共栄 30.-8.20.   7.-9.-4. 行政区域表示なし。待合室に貼り付け
深名線 朱鞠内―蕗ノ台 湖畔 31.-5.-1.   7.-9.-4. 待合室に貼り付け
深名線 朱鞠内―蕗ノ台 宇津内 24.-4.-1.   31.11.19.以降 不明
室蘭本線 長万部―静狩 旭浜 18.-9.25.?   18.-3.18.
室蘭本線 静狩―礼文 小幌 18.-9.25.?  

室蘭本線 伊達紋別―稀府 北舟岡 55.--.--.?  

根室本線 金山―東鹿越 鹿越 41.-9.29.   61.11.-1. 「しんごうじょう 信号場」「S.S」併記あり
根室本線 落合―新得 狩勝 26.-4.-1.?   41.10.-1. 「信号場」併記あり
根室本線 札内―幕別 稲士別 34.10.-7.  

根室本線 音別―白糠 古瀬(信) 29.-7.-1.?  

留萌本線 秩父別―石狩沼田 北秩父別 31.-7.-1.  
漢字が非常に大きい。待合室に貼り付け
留萌本線 石狩沼田―恵比島 真布 31.-7.-1.  
バランスはよいが小型。待合室に貼り付け
留萌本線 峠下―幌糠 東幌糠 38.12.-1.   18.-3.18.
留萌本線 幌糠―藤山 桜庭 38.12.-1.   2.10.-1.
留萌本線 礼受―舎熊 阿分 38.12.-1.  
行政区域表示なし
留萌本線 礼受―舎熊 信砂 38.12.-1.  
行政区域表示なし
留萌本線 舎熊―増毛 朱文別 38.12.-1.  

留萌本線 舎熊―増毛 箸別 38.12.-1.  
行政区域表示なし。誤記が目立つ
羽幌線 小平―大椴 花岡 31.-8.20.   62.-3.30. 行政区域表示なし
羽幌線 大椴―鬼鹿 富岡 31.-5.13.   62.-3.30. 裏側に旧駅名標を貼り付け
羽幌線 鬼鹿―力昼 千松 38.-6.-1.   62.-3.30.
羽幌線 力昼―古丹別 番屋ノ沢 30.-3.26.   62.-3.30.
羽幌線 苫前―羽幌 興津 31.-9.-1.   62.-3.30. 「おこつ」が明朝体。裏面にも「おこつ 興津」
羽幌線 羽幌―築別 下ノ滝 31.11.-1.   47.-2.-8. 不明
羽幌線 遠別―丸松 啓明 31.-5.-1.   62.-3.30. 誤記あり「KEIMIE」
羽幌線 丸松―更岸 北里 31.-5.-1.   45.-9.-7. 不明
羽幌線 更岸―天塩 干拓 30.12.-2.   62.-3.30.
羽幌線 天塩―北川口 中川口 31.-5.-1.   62.-3.30.
羽幌線 北川口―振老 西振老 31.-5.-1.   45.-9.-7. 不明
羽幌線 振老―幌延 作返 30.12.-2.   62.-3.30. 行政区域表示なし
士幌線 中士幌―士幌 新士幌 41.10.-1.   62.-3.23. S54以降に塗り替えもしくは交換
士幌線 黒石平―糠平 電力所前 38.11.-1.   62.-3.23. 漢字が非常に大きい。S54以降に塗り替えもしくは交換
士幌線 黒石平―糠平 糠平ダム 31.--.--.   --.--.--. 不明
白糠線 上白糠―茶路 共栄 49.-7.25.   58.10.23. 「かりじょうこうじょう 仮乗降場」併記あり。隣駅表示なし
宗谷本線 剣淵―士別 北剣淵 34.11.-1.  
行政区域表示なし
宗谷本線 多寄―風連 瑞穂 31.-9.-1.  
誤記あり「みづほ」
宗谷本線 智恵文―南美深 智北 34.11.-1.  
不明 恐らくAタイプ
宗谷本線 豊清水―咲来 天塩川温泉 31.-7.-1.  
A(C) やや漢字が大きい
宗谷本線 筬島―佐久 神路(信) 52.-5.25.   61.--.--.?
宗谷本線 佐久―天塩中川 琴平 30.12.-2.   2.-9.-1.
宗谷本線 問寒別―雄信内 糠南 30.12.-2.  

宗谷本線 問寒別―雄信内 上雄信内 31.-5.-1.   13.-7.-1.
宗谷本線 幌延―下沼 南下沼 32.-2.-1.   18.-3.18.
天北線 上音威子府―小頓別 天北栄 --.--.--.   40.10.--. 不明
天北線 上頓別―敏音知 恵野 31.-5.-1.   1.-5.-1.
天北線 敏音知―松音知 周麿 31.-5.-1.   1.-5.-1.
天北線 松音知―中頓別 上駒 30.12.-2.   1.-5.-1.
天北線 中頓別―下頓別 寿 30.12.-2.   1.-5.-1.
天北線 中頓別―下頓別 新弥生 34.11.-1.   1.-5.-1.
天北線 下頓別―浜頓別 常盤 30.12.-2.   1.-5.-1.
天北線 浜頓別―山軽 北頓別 --.--.--.   42.10.-1. 不明
天北線 山軽―浅茅野 安別 31.11.19.   1.-5.-1.
天北線 山軽―浅茅野 飛行場前 30.12.-2.   1.-5.-1.
天北線 声問―南稚内 宇遠内 30.12.-2.   1.-5.-1.
渚滑線 渚滑―下渚滑 元西 31.-5.-1.   60.-4.-1. 行政区域表示あり
渚滑線 下渚滑―中渚滑 十六号線 30.12.25.   60.-4.-1. 行政区域表示あり
渚滑線 中渚滑―上渚滑 上東 30.12.25.   60.-4.-1. 行政区域表示あり
渚滑線 上渚滑―滝ノ下 奥東 30.12.25.   60.-4.-1. 行政区域表示あり
渚滑線 滝ノ下―濁川 雄鎮内 30.12.25.   60.-4.-1. 行政区域表示あり
興浜南線 沢木―栄丘 元沢木 30.12.25.   60.-7.15.
興浜南線 栄丘―雄武 雄武共栄 30.12.25.   60.-7.15. 行政区域表示あり
湧網線 中湧別―芭露 五鹿山 33.-7.-1.   62.-3.20. 待合室に貼り付け
湧網線 中湧別―芭露 福島 30.12.25.   62.-3.20. 行政区域表示あり。待合室にも漢字のみの駅名標あり
湧網線 芭露―計呂地 志撫子 30.12.25.   62.-3.20. 隣駅表示なし。待合室に貼り付け
湧網線 計呂地―床丹 浜床丹 31.-8.20.   62.-3.20. 行政区域表示あり。待合室にも漢字のみの駅名標あり
湧網線 床丹―佐呂間 若里 30.12.25.   62.-3.20. 行政区域表示あり
湧網線 佐呂間―知来 堺橋 31.12.20.   62.-3.20.
湧網線 佐呂間―知来 興生沢 30.12.25.   62.-3.20. 行政区域表示あり。待合室にも漢字のみの駅名標あり
湧網線 知来―仁倉 紅葉橋 30.12.25.   62.-3.20. 行政区域表示あり。待合室にも漢字のみの駅名標あり
湧網線 北見富丘―北見共立 東富丘 31.-5.-1.   62.-3.20.
湧網線 北見共立―常呂 土佐 31.-1.-7.   47.-2.-8. 不明 恐らくBタイプ
湧網線 常呂―能取 常呂港 31.-1.-7.   47.-2.-8. 不明 恐らくBタイプ
湧網線 能取―北見平和 中能取 31.-1.-7.   47.-2.-8. 不明 恐らくBタイプ
湧網線 卯原内―二見ヶ岡 二見中央 31.-5.-1.   62.-3.20. 誤記あり「ふたみちゅうお」
湧網線 二見ヶ岡―網走 大曲 30.12.25.   62.-3.20.
興浜北線 浜頓別―豊牛 頓別 31.-2.26.   60.-7.-1. 以前は山臼(Cタイプ)と同様式
興浜北線 豊牛―斜内 豊浜 31.-2.26.   60.-7.-1. 天北線浅茅野駅の旧駅名標を廃物利用。平仮名のみ
興浜北線 目梨泊―問牧 山臼 31.-2.26.   60.-7.-1. 平仮名のみ
名寄本線 二ノ橋―一ノ橋 幸成 31.-4.30.   1.-5.-1. 隣駅表示なし
名寄本線 西興部―中興部 六興 34.-4.20.   1.-5.-1. 行政区域表示あり
名寄本線 中興部―宇津 班渓 32.12.-3.   1.-5.-1.
名寄本線 興部―豊野 旭ヶ丘 31.-9.-1.   1.-5.-1.
名寄本線 沙留―渚滑 富岡 31.-9.-1.   1.-5.-1. 表記は「富丘」。でも多分こちらが正しい
名寄本線 沙留―渚滑 川向 --.--.--.   41.-3.--. 不明
名寄本線 元紋別―小向 一本松 30.12.25.   1.-5.-1.
名寄本線 小向―沼ノ上 弘道 31.-5.-1.   1.-5.-1.
名寄本線 中湧別―上湧別 北湧 41.10.-1.   1.-5.-1. 待合室に貼り付け
名寄本線 中湧別―上湧別 厚生病院前 30.12.25.   41.10.-1 不明
名寄本線 中湧別―湧別 四号線 30.12.25.   1.-5.-1. 以前はCタイプ
石北本線 東旭川―桜岡 北日ノ出 35.-5.-2.  

石北本線 当麻―伊香牛 将軍山 35.-5.-2.  

石北本線 中愛別―安足間 愛山 35.-5.-2.  

石北本線 安足間―上川 東雲 35.-5.-2.  
誤記あり「とおうん」
石北本線 中越―奥白滝 上越(信) 50.12.25.   58.-1.10. 「信号場」「S.S-」併記あり
石北本線 白滝―下白滝 旧白滝 22.-2.11.  

石北本線 丸瀬布―瀬戸瀬 伊奈牛 32.12.-1.   2.-9.-1. 待合室に貼り付け
石北本線 瀬戸瀬―遠軽 新栄野 21.12.-1.   18.-3.18. 誤記あり「SHINSAKAENU」
石北本線 安国―生田原 生野 21.12.-1.  

石北本線 生田原―金華 常紋(信) 26.-4.-1.?   50.-7.-1.? 「信号場」「S.S」併記あり。駅舎に貼り付け
石北本線 留辺蘂―相ノ内 下相ノ内 25.11.-1.   42.10.-1. 不明
石北本線 北見―端野 柏陽 32.12.-1.  
不明 恐らくBタイプ
石北本線 緋牛内―美幌 鳥ノ沢 23.11.-1.   46.-7.-1. 不明
相生線 美幌―上美幌 旭通 30.-8.20.   60.-4.-1.
相生線 上美幌―活汲 豊幌 30.-8.20.   60.-4.-1.
相生線 活汲―津別 達美 31.-5.-1.   60.-4.-1. ローマ字が大きい
相生線 津別―恩根 高校前 30.-8.20.   60.-4.-1. ローマ字が大きい
相生線 本岐―布川 大昭 31.-5.-1.   60.-4.-1. 別に漢字だけの駅名標あり
相生線 本岐―布川 開拓 31.-5.-1.   60.-4.-1.
池北線 高島―勇足 大森 43.10.-1.   18.-4.21.
池北線 上利別―大誉地 笹森 32.-8.-1.   18.-4.21.
池北線 小利別―置戸 釧北 T5.11.-1.?   --.--.--. 「せんぽく 釧北 SENPOKU」のみ。隣駅表示なし
釧網本線 網走―鱒浦 桂台 42.-4.-1.  
行政区域表示なし
釧網本線 浜小清水―北浜 原生花園 39.-6.-1.   53.10.-2. 不明
標津線 標茶―泉川 多和 36.-4.10.   1.-4.30. C(A) 行政区域表示なし
標津線 計根別―当幌 開栄 36.10.-1.   1.-4.30.
仙山線 作並―奥新川 八ツ森 12.11.10.   H26.-3.15. 不明
仙山線 奥新川―山寺 面白山(信) 12.11.10.  
不明
磐越東線 小川郷―川前 江田 23.10.-1.  
不明
会津線 上三寄―桑原 舟子 43.10.17.  
不明
羽越本線 桑川―越後寒川 今川(信) 19.-7.-1.  

只見線 大白川―入広瀬 柿ノ木 26.-3.-1.   H27.-3.14. 不明
赤谷線 新発田―五十公野 東中学校前 48.-6.-4.   59.-4.-1.
中央本線 小野―塩尻 東塩尻(信) 24.10.-1.   58.10.12.
関西本線 桑名―富田 朝明(信) --.--.--.   --.--.--. 不明
能登線 甲―前波 立戸ノ浜 35.-7.-8.   17.-4.-1.
富山港線 東岩瀬―岩瀬浜 競輪場前 34.-4.18.  
不明
三江線 船佐―粟尾 長谷 44.-4.25.
不明
岩日線 南河内―北河内 行波 46.-4.-1.  

山口線 益田―石見横田 本俣賀 45.-4.-1.  
不明 恐らくAタイプ
山口線 上郷―大歳 仁保津 47.-4.10.  
裏面にも「にほづ」
牟岐線 由岐―木岐 田井ノ浜 39.-7.11.  
平仮名で「たいのはま」のみ。他駅の転用材か?
小松島線 小松島― 小松島港 15.-3.15.   60.-3.14. 第4種(鳥居型)もあり


◆ 参考文献:「鈍行列車の旅」(種村直樹著・1979年・日本交通公社出版事業局)/「あの駅この駅雑学百科」(伊藤東作著・1980年・日本交通公社出版事業局)/「駅名おもしろ大辞典」(夏攸吾著・1983年・日地出版)/「鉄道物語 はじめて汽車に乗ったあの日」(佐藤美知男著・2002年・河出書房新社)/「されど鉄道文字 駅名標から広がる世界」(中西あきこ著・2016年・鉄道ジャーナル社)など