(特別企画)【不思議な小駅"仮乗降場"について】


1."仮乗降場"とは?

 一般駅・旅客駅など"正規"の駅に対して、文字通り"仮"に設置された駅の1種だが、いわゆる"臨時乗降場"(「営業キロ」があって国鉄本社が開設したもの*1)などとは異なり、運賃計算上の「キロ程」設定がなく、各鉄道管理局独自の判断で設置されたものをいう。国鉄末期で全国に百数十ヶ所存在したが、その大半は北海道内にあった。臨時乗降場が主に行楽客を対象とし、概ね海水浴場や有名な景勝地などに期間限定(年にわずか数日程度から1シーズン。但し通年営業の例外もあり。*2)で設置されるのに対して、仮乗降場は沿線の極普通の小集落(甚だしくはわずか数軒程の)に、地元の通学生や病院通いのお年寄りなどの利便を図る目的でひっそりと設けられることが多く、粗末な外観(多くは片面の短いホームと数畳程の小さな待合所のみ)と相まって"バス停の鉄道版"と言われる所以である。したがって、その性格上"仮"とは言いながら通年停車が普通*3)で、しかも昭和30年前後に設置されてから30年以上も継続営業しているものがざらであった。なお、"仮乗降場"は国鉄時代の分類名称であり、昭和62年4月の民営化以後はJR北海道など、新たに営業キロを定めて正規の旅客駅へ"昇格"させた例が多いが、内地のJR各社の取扱いについてはよくわからない。北海道以外では下記のような設置例があった(同じく国鉄晩年時点。*印が通年営業)。現在の状況など、詳細をご存知の方は是非ご一報下さい。

・仙山線八ツ森仮乗降場*(作並―奥新川間)
・仙山線面白山信号場兼仮乗降場*(奥新川―山寺間)
・磐越東線江田仮乗降場*(小川郷―川前間)
・会津線舟子仮乗降場*(上三寄―桑原間)
・羽越本線今川信号場兼仮乗降場*(桑川―越後寒川間)
・只見線柿ノ木仮乗降場*(大白川―入広瀬間)
・赤谷線東中学校前仮乗降場*(新発田―五十公野間)
・中央本線東塩尻信号場兼仮乗降場*(小野―塩尻間)
・関西本線朝明信号場兼仮乗降場*(桑名―富田間)
・能登線立戸ノ浜仮乗降場(甲―前波間)
・富山港線競輪場前仮乗降場(東岩瀬―岩瀬浜間)
・三江線長谷仮乗降場(船佐―粟尾間)
・岩日線行波仮乗降場*4(南河内―北河内間)
・山口線本俣賀仮乗降場*(益田―石見横田間)
・山口線仁保津仮乗降場*(上郷―大歳間)
・牟岐線田井ノ浜仮乗降場(由岐―木岐間)
・小松島線小松島港仮乗降場(小松島― 間)

注)
*1 例外があり、留萌本線瀬越、常磐線偕楽園にはなぜか営業キロがなかった。(時刻表の"営業キロ"欄が「...」となっている。)「瀬越」は古く大正15年の開設で、確かに瀬越海水浴場に近いものの、近年は通年停車で専ら地元民ばかりが利用しており、どちらかというと仮乗降場に近い性格であった。本社設定なので昔から全国版の時刻表にも載っていたが、ようやく営業キロが設定されて(臨)の記号がとれたのは民営化時(昭和62年4月)からである。

*2 国鉄晩年頃の"元祖"臨時乗降場は下記の通り(全国で9駅)。*印が通年営業。
・留萌本線瀬越臨時乗降場*(留萌―礼受間)
・五能線十二湖臨時乗降場(松神―陸奥岩崎間)
・五能線千畳敷臨時乗降場(大戸瀬―北金ヶ沢間)
・上越線岩原スキー場前臨時乗降場(越後中里―越後湯沢間)
・常磐線偕楽園臨時乗降場(赤塚―水戸間)
・外房線行川アイランド臨時乗降場*(上総興津―安房小湊間)
・久留里線東清川臨時乗降場*(上総清川―横田間)
・能登線恋路臨時乗降場(松波―鵜島間)
・予讃本線津島ノ宮臨時乗降場(海岸寺―詫間間)

※ 上記に加えて、国鉄時代の末期に札沼線にも臨時乗降場が設置されている旨、"Tomo"様からご指摘を受けました。
・札沼線百合が原臨時乗降場(新琴似―篠路間)61.-6.28.開設(62.-4.-1.正規の駅へ昇格。)
◆"Tomo"様、ご協力ありがとうございました。

また、国鉄民営化後、JR各社が独自に開設した"臨時乗降場(又は臨時駅)"は全国各地で急増している。JR北海道関係では以下の通り。(情報漏れはご一報下さい。)

・深名線政和温泉駅(雨煙別―政和間)62.-4.-1.開設(仮乗降場から臨時駅に移行。2.-3.10.廃止。)
・天北線新弥生駅(中頓別―下頓別間)62.-4.-1.開設(仮乗降場から臨時駅に移行。62.12.-1.正規の駅へ昇格。1.-5.-1.廃止。)
・名寄本線班渓駅(中興部―宇津間)62.-4.-1.開設(仮乗降場から臨時駅に移行。62.12.-1.正規の駅へ昇格。1.-5.-1.廃止。)
・天北線東声問駅(恵北―声問間)62.-6.-1.開設(翌日62.-6.-2.廃止。)
・釧網本線原生花園駅(浜小清水―北浜間)62.-7.-1.開設
・天北線上音威子府駅(音威子府―小頓別間)62.12.-1.旅客駅から降格(1.-5.-1.廃止。)
・釧網本線釧路湿原駅(遠矢―細岡間)63.-7.23.開設(平成8年頃?に正規の駅へ昇格。入場券も発売されている。)
・留萌本線浜中海水浴場駅(瀬越―礼受間) 1.-7.23.開設(平成7年8月頃に廃止。)
・日高本線フイハップ浜駅(汐見―富川間) 1.-8.-9.開設(駅企画の団体旅客専用。平成6年頃?に廃止。)
・宗谷本線智東駅(日進―北星間) 1.12.-1.旅客駅から降格
・函館本線張碓駅(朝里―銭函間) 2.-9.-1.旅客駅から降格
・富良野線ラベンダー畑駅(中富良野―西中間)11.-6.11.開設

なお、深名線雨煙別駅(幌加内―政和間)や蕗ノ台・白樺駅(朱鞠内―北母子里間)も昭和62年4月1日より"臨時駅"へ降格になったとする資料もある。

*3 北海道内の仮乗降場はすべて通年営業(毎日停車。全列車が停まるという意味ではない。)だが、内地の仮乗降場のうち*印が付いていない4ヶ所は夏季又は学期限定営業、富山港線競輪場前仮乗降場は競輪開催日のみの営業で、営業形態の点では仮乗降場と臨時乗降場の区別は極めて曖昧な感じだ。

*4 "westwind"様によると、"岩日線行波(ゆかば)仮乗降場"については、岩日線が第三セクター「錦川鉄道(株)錦川清流線」に転換されると共に同線の"一般駅"となり、市販の全国版時刻表にも掲載されるようになった由です。(氏が加筆している『ウィキペディア(Wikipedia)』の「行波駅」をご参照下さい。現況画像もあります。)
 また、"山口線本俣賀仮乗降場""山口線仁保津仮乗降場""三江線長谷仮乗降場"についても、現在は"営業キロ"が設定されて一般駅と同じ扱いになっているとのことでした。
◆"westwind"様、ご協力ありがとうございました。


2.北海道の仮乗降場

 北海道の国鉄線は一般に駅間距離が長く、冬季は積雪の影響があって交通手段が未発達なためか、内地に比べてダントツに設置例が多く、いわゆる赤字ローカル線を中心に全盛期全道で110〜120に及んだと推測される。この数字には、小学館の「北海道690駅」(昭和58年発刊)巻末「北海道仮乗降場一覧」に倣い、"旅客扱いを行っている信号場"13駅を含んでいる。(ちなみに、1983年当時、この表にある上越・常紋の各信号場は客扱いを行っていたかどうかが微妙で、深名線大曲も廃止されていた可能性が高い。逆に、根室本線稲士別・羽幌線中川口・天北線宇遠内・池北線大森・池北線笹森の各仮乗降場は記載漏れとなっている。)ほとんどが昭和30年頃からの10年間に設置されており、ローカル線の蒸気機関車から気動車運行への切り替え時期に集中しているという。地域的には、旭鉄局管内が圧倒的に多く(全体の約9割)、青函局管内では客扱いを行う信号場・元信号場がほとんどで、なぜか釧鉄局・札鉄局管内には少なかった。これらの多くは国鉄本社の与り知らぬ存在のため、客扱いをする信号場の一部を除いて全国版の時刻表には全く載らなかったが、道内及び青函連絡船内などで発売された「北海道時刻表」(日本交通公社)や「道内時刻表」(弘済出版社)にはほとんど全て掲載されていた。(極一部だが、これらのローカル版時刻表にも載らなかった珍しい仮乗降場もある(4.(1)参照)。)


3.北海道の仮乗降場の規格(駅舎・ホーム・駅名標など)

 正規の駅とは異なり、敢えて規格を統一しなければならない必要性がないためか、各鉄道管理局により、また設置・改修時期により結構バラエティに富んでいて面白い。

@ 駅舎
 一部例外があるが、1日の利用客が多くても数人から30人程度と極めて少なく、出改札等の駅務要員を置く必要もないため、本当にバス停の待合所並のものが多かった。稀に一般旅客駅並の立派なもの("番屋ノ沢仮乗降場"("15.羽幌線力昼駅"参照)など)もあったが、大半は広さ数畳程の"掘立小屋"に裸電球が1つ付いている程度で、それすらもないホームだけの仮乗降場というのも結構あったようだ。
A ホーム
 特に旭鉄局管内では、古枕木・レールの廃材などで組んだ気動車1両分程の短い粗末な造りが典型的で、内地から鉄道旅行に来た人(筆者も含めて)にはちょっと衝撃的だった。一方、他の鉄道管理局管内では比較的立派な造りのものが多かったようだ。稀にコンクリート造りや土盛り式の"豪華な?"ホームも見受けられ、長さも数両連結の気動車が十分に停められるような普通の駅と遜色ない規模のものもあった。
B 駅名標
 ホームに支柱で立てるタイプと併設する待合所に張り付けるタイプがあったが、大体各乗降場に1枚のみで、大きさも様式も結構バラエティがあった。旭鉄局管内のうち、東部の渚滑線・興浜南線・湧網線・名寄本線・相生線では通常規格の半分程しかない小型版(写真右:ローマ字標記を省略したもの)が中心で、その他の地域では、概ね通常規格に沿ったものが多いと言えるが、各路線共たまに規格外の変わった様式のものが混在していて面白い。(函館本線東山・白糠線共栄・湧網線志撫子・名寄本線四号線(旧型)などの駅名標には"隣駅の表示"がなかった。その他、細かく見れば色々なパターンがあるが省略する。)なお、駅名標の"隣駅表示"は「仮乗降場を無視する」(1つ先の正規の駅名を表示する)のが慣例だが、信号場など例外も何ヶ所かある(写真の"相生線大昭仮乗降場"もその1つ)。正規の1駅間に仮乗降場が2つある場合など、当の仮乗降場の駅名標までもお互いを無視するので非常にわかりにくい。


4.ちょっと変わった仮乗降場

(1) 時刻表にも載っていなかった仮乗降場

 "白糠線共栄"(上白糠―茶路間)と"士幌線新士幌"(中士幌―士幌間)は2つある道内版時刻表のいずれにも掲載されていない"幻"の仮乗降場として当時鉄道ファンには有名だった。また、筆者は昭和58年9月に池北線を乗車旅行中、偶然"大森"(高島―勇足間)仮乗降場(現在は正規の駅に昇格)を発見し、あわててカメラに収めている。やはり道内版時刻表に全く記載がなく、予備知識もなかったので狐につままれたような気分だった。また、"胆振線尾路園"(新大滝―御園間)も時刻表に掲載されていなかったという。この仮乗降場は色々となぞが多く、非常に興味深い("8.胆振線御園駅"参照)。その他、"池北線笹森"(上利別―大誉地間)や"根室本線稲士別"(札内―幕別間)なども同様で、仮乗降場時代は地元の人だけが知る存在だったようだ。

(2) 停車本数の少ない仮乗降場

@ 停車本数が極端に少ない仮乗降場
 概して"駅"に比べると乗降量がかなり少ないため、「一部の列車しか停まらない」という仮乗降場も多い。特に、朝夕の通学生しか利用しないことがはっきりしている場合は、日に2〜3本(1〜1.5往復)という極端なパターンも珍しくなかった。「北海道時刻表」昭和58年9月号(弘済会版)によると以下の通り。湧網線に多い。

★1日の上下停車本数が計2本しかない仮乗降場:湧網線大曲(二見ヶ岡―網走間)・名寄本線四号線(中湧別―湧別間)・宗谷本線神路(信)(筬島―佐久間)
★1日の上下停車本数が計3本しかない仮乗降場:湧網線五鹿山・福島(共に中湧別―芭露間)・堺橋(佐呂間―知来間)・東富丘(北見富丘―北見共立間)・標津線多和(標茶―泉川間)

 ちなみに、筆者は昭和59年2月に吹雪の中、早朝の1番列車に乗って"湧網線五鹿山"仮乗降場(写真右)に下車したことがある。もう夕方まで停車する便はないため、中湧別駅までの数キロを歩くつもりだったのだが、これが甘かった。下車の際、車掌が「本当にこんな所で降りるんかい?」と心配してくれた意味がわかったときには、路もわからない程の積雪に足をとられ、吹雪と寒さで足が進まず、本当に遭難するのではと恐怖を感じた。北海道の冬をなめてはいけないようだ。

A 上り列車しか停まらない仮乗降場
 "士幌線電力所前"(黒石平―糠平間)は上り専用の仮乗降場で、下り列車に乗るためには500m程離れた黒石平駅を利用しなければならなかった。仮乗降場付近の勾配が急で、下り列車の停発車が難しかったためらしい。

B 冬季の営業が休止になった仮乗降場
 "深名線政和温泉"(雨煙別―政和間)仮乗降場付近は豪雪地帯のうえ線路の勾配が急で、筆者も昭和59年7月に乗車旅行中、停車予定の乗降場を百メートル近くもオーバーランするというアクシデントに遭遇した。(このときは乗降客もいないのに律儀に引き返して停車している。)結局、昭和62年から冬季(12月1日〜4月20日)営業休止の扱いとなり、やがてただ1軒の駅前温泉旅館も閉鎖となったため、平成2年3月9日限りで廃駅となっている。

C 乗降客がいない場合は停車しない仮乗降場
 昭和59年2月、筆者は名寄本線の短い支線区間にある"四号線"(中湧別―湧別間)仮乗降場に下車しようとしたが、道内時刻表にちゃんと発時刻が掲載されているにもかかわらず、列車は減速もせずに通過してしまい、慌てたことがある。後で知ったが、これはどうも"常態"になっていたらしく、種村直樹氏の著書「鈍行列車の旅」(日本交通公社 1979年)にも紹介されていた。(下車する場合は、事前に車掌へ申告する必要がある?)もちろん、運行規則上は乗降客の有無にかかわらずきちんと停車しなければならないはずだが、1日2往復の盲腸線(4.9km)で利用客(たぶん数人)も固定されていた可能性が高く、特別に慣例化されていたものと思われる。(但し、路線廃止前頃は正しく運行されていた模様。)

(3) "双子"の仮乗降場

 もともと駅間距離が長い北海道の路線では1駅間が7〜10km以上も離れた区間が結構あって、その間に2つの仮乗降場が同居している"双子"が全道で10ヶ所もあった(国鉄末期)。

・函館本線東山・姫川(信)仮乗降場(駒ケ岳―森間)
・深名線大曲・共栄仮乗降場(添牛内―朱鞠内間)
・留萌本線阿分・信砂仮乗降場(礼受―舎熊間)
・留萌本線朱文別・箸別仮乗降場(舎熊―増毛間)
・宗谷本線糠南・上雄信内仮乗降場(問寒別―雄信内間)
・天北線寿・新弥生仮乗降場(中頓別―下頓別間)
・天北線安別・飛行場前仮乗降場(山軽―浅茅野間)
・湧網線五鹿山・福島仮乗降場(中湧別―芭露間)
・湧網線堺橋・興生沢仮乗降場(佐呂間―知来間)
・相生線大昭・開拓仮乗降場(本岐―布川間)

 なお、昭和30年代には極短期間だが、1駅間に3つの仮乗降場が同居する"三つ子"も数例あったようだ。また、その他、深名線・留萌本線・羽幌線・天北線・興浜南北線・渚滑線・湧網線・名寄本線・石北本線・相生線には1駅毎に仮乗降場がサンドイッチになった"団子"区間がたくさんあった。

(4) ひどく辺鄙な場所にある仮乗降場

 国鉄時代における仮乗降場の"設置基準"は定かではないが、地元民の請願があってかつ定期運行に支障がなければ、かなり「利用者見込み」が少ない区間でも開業は比較的容易であったと思われる。仮乗降場がたくさん開設された昭和30年代は、(特に北海道の場合)鉄道に代わる交通手段が未発達なうえ、国有鉄道(公社)としての公共性から必ずしも採算を重視する必要がなかったと考えられるからである。ところが、設置後数十年を経て、産業の衰退により周囲の過疎化が進み、元々わずかな民家さえ姿を消してしまい、結果として内地の人にはちょっと信じられないような辺鄙な場所にある仮乗降場が多かった。たくさんあるが、きりがないので3例を挙げる。

@ 羽幌線中川口仮乗降場(天塩―北川口間)
 筆者が仮乗降場に興味を持つきっかけになった乗降場で、昭和58年8月に幌延町から国道232号線を南下中、車窓から遥か遠く何もない広大な原野の真ん中に駅名標だけがポツンと立っているのを発見(矢印)して、唖然としたのを覚えている。周囲には人家らしきものは全くなく、利用者は皆無であろうと思っていたら、昭和59年7月に羽幌線を乗車旅行中、2人の高校生が乗り降りするのを見掛けて少し驚きだった。

A 名寄本線班渓仮乗降場(中興部―宇津間)
 停車本数が少ない仮乗降場だったが、昭和60年7月に思い切って下車してみた。地図によれば確かに西の山寄りに"班渓"という小集落があるようだが、乗降場周辺は深い林に囲まれて驚くほど何もなく、およそ利用者がありそうな雰囲気ではなかった。

B 天北線周麿仮乗降場(敏音知―松音知間)
 上音威子府駅と同様、割合に交通量の多い道道沿いに設けられた仮乗降場だが、やはり周囲には人家が見当たらない。昭和60年7月に下車したことがあり、平成6年9月にも廃駅跡を探訪した。仮乗降場は概して施設が簡素な造りであるため、"駅"に比べて遺構が残りにくいと言われているが、路盤と踏切跡の位置関係や特徴的な枝ぶりの白樺の木(矢印)から場所を特定できた。

(5) 妙な位置にある仮乗降場

@ 湧網線大曲仮乗降場(二見ヶ岡―網走間)
 網走駅からわずか2km、並行して走る石北本線との分岐点付近にあった仮乗降場で、比較的網走市街地に近く、すぐ裏手は民家になっていた。にもかかわらず、1日の停車本数は早朝・夕方のわずか2本しかなく、網走刑務所などに近いものの、事実上観光客が利用することは不可能だった。なぜ便数も多い石北本線側に設置されなかったのか不思議だ。

A 標津線多和仮乗降場(標茶―泉川間)
 標茶から釧網本線と約2km並んで走り、標津線が右に大きくカーブしていく分岐点(京大演習林付近)にあった仮乗降場で、やはり1日の停車本数はたった3本しかなく、ほとんど通学生以外は利用できなかったと思われる。なぜか「北海道時刻表」(交通公社版)には掲載されていなかった。周囲には民家もわずかで、道道31号線の方へ抜ける道路や踏切もなく、容易に辿り着くこともできない孤立した妙な場所にあった。上記"大曲"と同様、釧網本線の側に設置されていれば生き残ったのに、と思う。

B 室蘭本線小幌仮乗降場(静狩―礼文間)
 鉄道ファンの間では結構有名で、2つのトンネルに挟まれたわずか100メートルほどの妙な空間にある。昔、この平坦なトンネル区間に信号場をつくることになった際、煙が充満しないようにSL車両を停めるための工夫だったという。周囲には全く人家がない"陸の孤島"にもかかわらず、信号場が廃止(昭和42年10月頃)となってからもなぜか仮乗降場として存続し、現在では正規の駅に昇格して全国版の時刻表にも掲載されている。
※ 「信号場」の開設は昭和18年9月となっており、旅客扱いは昭和31年12月以前から行われていた模様で、信号場廃止までは「小幌(仮)」の名前で交通公社の全国版時刻表にも掲載されていた。国鉄職員が配置された時代もあったようだが、最近は定期利用者が全くいないため、JR北海道としては廃止の方向で調整を進めてきたが、地元・豊浦町が「秘境駅」を観光資源として活用したい意向を表明し、現在は駅の管理・運営(主として費用面)について協議中とのこと。

C 宗谷本線上雄信内仮乗降場(問寒別―雄信内間)
 「乗降場に通ずる道路がない」ということで、やはりマニアの間では有名だった。個人の所有地(畑の中)を通らなければ利用できないという不思議な仮乗降場だったが、どういうわけか民営化後("駅"に昇格)も長々と生き残り、平成13年6月30日にようやく廃駅となった。
※ "にゃんちん"様によると、「当時(平成元〜2年頃)、北大演習林(問寒別)付近の住居地図にも道路の記載がないため、『道路がないのに駅を利用できるのか』と演習林の人に尋ねたところ、付近に民家が2軒程あって通学客がいる」ことを確認したようです。
◆貴重な情報をありがとうございました。

(6) 駅名標が変な仮乗降場

@ 湧網線堺橋仮乗降場(佐呂間―知来間)
 「北海道時刻表」(交通公社版)では「堺橋(さかえばし)」、「道内時刻表」(弘済会版)では「境橋(さかえばし)」、駅名標は「堺橋(さかいばし)」という具合に皆バラバラだった。

A 名寄本線富岡仮乗降場(沙留―渚滑間)
 道内版時刻表はいずれも「富岡」と記載されているが、駅名標は「富丘」となっていた。道路地図などを見ると確かに"集落名"は「富丘」が正しいようだが...。

B 興浜北線豊浜仮乗降場(豊牛―斜内間)
 天北線浅茅野駅の古い駅名標を流用した時期があった。山臼仮乗降場(目梨泊―問牧間)も漢字表記のない簡素な駅名標だった。

C 湧網線二見中央仮乗降場(卯原内―二見ヶ岡間)
 「ふたみちゅうお」"下書き"なしで書いていることが明らか?普通の感覚なら作り直しだが...。

D 留萌本線箸別仮乗降場(舎熊―増毛間)
 隣駅表示が「しゅうもんべつ」になっている。逆に「う」が余分。

E 石北本線東雲仮乗降場(安足間―上川間)
 「とおうん」?「とううん」では?

F 宗谷本線瑞穂仮乗降場(多寄―風連間)
 「みづほ」?「みずほ」では?

G 羽幌線啓明仮乗降場(遠別―丸松間)
 「KEIMIE」明らかに綴りが違う(IとEが逆)。

H 石北本線新栄野仮乗降場(瀬戸瀬―遠軽間)
 OがUになっており、これでは「しんさかえぬ」。これでは栄えられない?


5.廃止された仮乗降場

1) 深名線宇津内仮乗降場(朱鞠内―蕗ノ台間)<31.11.19.以降廃止>
 同じく朱鞠内―蕗ノ台間の"湖畔仮乗降場"よりもさらに4.3kmも内陸寄り(朱鞠内から6.2km、蕗ノ台から4.5km)にあった仮乗降場で、元々は正規の駅として開業した(昭和16年10月10日)が、昭和24年4月1日から仮乗降場に降格されたものと思われる。廃止は昭和31年11月以降とみられるが、はっきりしないらしい。湖畔仮乗降場の開設が31年5月1日と言われているので、極短期間だが、朱鞠内―蕗ノ台間に仮乗降場が2ヶ所並置されていた可能性もある。道内の仮乗降場としては極めて廃止時期が早いため、謎の部分が多い。詳しくは(特別企画)【土に還った幻の停車場 -深名線宇津内駅-】参照。

2) 函館本線嵐山仮乗降場(伊納―近文間)<33.-8.--.以降廃止>
 昭和32年10月に開園した旭川市の"嵐山自然公園"の最寄りに設定された仮乗降場のようだが、わずか数ヶ月(最大1年ほど)で廃止されてしまったため、"函館起点419.500km"という位置情報の他は、明確でない点が多い。詳しくは(特別企画)【"仮乗降場"こぼれ話】 3.函館本線嵐山仮乗降場について参照。

3) 手宮線色内仮乗降場(南小樽―手宮間)<37.-5.15.貨物線化により廃止>
 大正初期に"仮停車場"として開設後、戦時中に正規の駅へ昇格し、昭和18年頃なぜか一時的に廃止されたらしいが、昭和24年9月1日から再び仮乗降場として復活したようだ(南小樽から1.1km、手宮から1.7kmの比較的市街地)。文献によると、一面の土盛りホームと"駅舎"を備えたかなり立派な造りだったようで、乗車券の発売と出改札を行っていた他、なんと仮乗降場であったにもかかわらず入場券まで売られていたらしい。極稀にオークションなどで見掛ける最終日付の"赤線"入場券は、駅名部分が"(臨)色内駅"となっていて、仮乗降場とはいえ"臨時駅"に準じた扱いであったことが推測される。

4) 士幌線糠平ダム仮乗降場(黒石平―糠平間)<31.--.--.(開)以降廃止>
 有名な"電力所前仮乗降場"の開設以前に黒石平―糠平間にあった仮乗降場で、主に糠平ダム関係者の便宜を図るため(?)、一時的に設置されたものと思われる。廃止年は不詳だが、糠平ダムが昭和31年にはもう完成していること、電力所前仮乗降場の開設が昭和38年11月1日であることから、やはり「その間」という見方ができそうだ。

5) 深名線下政和仮乗降場(雨煙別―政和間)<30.-8.20.(開)以降廃止>
 同じく雨煙別―政和間の"政和温泉仮乗降場"よりやや政和寄りにあった(?)。筆者が持っている資料ではなぜか廃止日付も抜けていて、詳細がはっきりしないが、政和温泉仮乗降場の開設と同日付(昭和36年12月1日)で廃止されたとする資料もあり、単なる「改称」だった可能性もある。(仮乗降場の改名については、"宗谷本線南咲来仮乗降場"(豊清水―咲来間)->昭和56年7月より"天塩川温泉"など若干例がある。)
※ "北見大橋"様によると、"幌加内町史"に「現在の政和温泉乗降場は開設当初『下政和乗降場』として政和第1部落に設置されたが、政和温泉の開業に伴ない、昭和36年12月1日、現在のように変更された。」という記載があり、実際に200mほど深川寄りへ移転したものの、やはり廃止というよりは"改称"に近いものであった模様です。また、北見大橋様は当乗降場の位置を「乗降場設置の通例から考えて、当時の航空写真(ウィキペディア参照)上の、旧国道の踏切の横あたりではないか」と想像されておりますが、筆者も全く同感です。

6) 天北線天北栄仮乗降場(上音威子府―小頓別間)<40.10.--.廃止>
 道内に富内線栄駅があるので、"天北"を付けたらしい。線名を冠するのは珍しい例と思われるが、よくある"旧国名"方式でいくと、中川郡内なので"天塩栄"(羽幌線)となってしまうためだろうか?やはりかなり早い時期に廃止されてしまったのは残念だ。ちなみに、駅名のバッティングに関しては、それが"仮乗降場同志"の場合は結構無頓着で、ずばり同じ「共栄」(深名線/白糠線)、「大曲」(深名線/湧網線)、「富岡」(羽幌線/名寄本線)などの他、「干拓」「開拓」、「四号線」「十六号線」など素朴で紛らわしいものが多い。また、「福島」「大曲」「琴平」など内地の駅名と同じ場合でも、あまり支障はないため敢えてそのまま使っていたようだ。
※ "にゃんちん"様によると、所在地は「上音威子府側から天北峠のトンネルを出てすぐの辺りで、集落の跡地もわずかに残っている」模様。また、"おくとん"様のサイト「道道資料北海道」には「てんぽくさかえ」の駅名を載せた地形図や付近の航空写真、在りし日の集落の状況(住戸や道路・分校の様子など)が掲載されています。

7) 名寄本線川向仮乗降場(沙留―渚滑間)<41.-3.--.廃止>
 同じく沙留―渚滑間の"富岡仮乗降場"よりやや渚滑寄り(現・渚滑町川向付近)にあったらしい。開設年が不詳だが、富岡仮乗降場の開設が昭和31年9月1日なので、やはり"双子"だった可能性が高い。紋別市内で渚滑の街にも近いのに、かなり早い時期に廃止されたのは意外な感じだ。

8) 名寄本線厚生病院前仮乗降場(中湧別―上湧別間)<41.10.-1.廃止>
 同じく中湧別―上湧別間の"北湧仮乗降場"よりやや上湧別寄り(?)にあったらしい。筆者が持っている資料ではなぜか廃止日付が抜けているが、時刻表などから北湧仮乗降場の位置が中湧別―上湧別間(4.6km)のほぼ中間付近であること、開設が昭和41年10月1日であることから、「それ以前」という見方もできそうだ。(追加情報あり、詳しくは(特別企画)【"仮乗降場"こぼれ話】 1.名寄本線厚生病院前仮乗降場について参照。)

9) 根室本線狩勝信号場兼仮乗降場(落合―新得間)<41.10.-1.廃止>
 難所で有名な狩勝峠の落合側にあった信号場で、全国版の時刻表にも「(仮)狩勝」と掲載されていた。短いホームと駅名標も備えていたらしいので、やはり旅客扱いを行った可能性が高い。また、狩勝峠の新得側には"新内"という正規の駅もあったが、昭和41年の線路付け替え(落合―新得間新線開業)により共に廃止されている。

10) 天北線北頓別仮乗降場(浜頓別―山軽間)<42.10.-1.廃止>
 やはり開設年は不詳。

11) 羽幌線北里仮乗降場(丸松―更岸間)<45.-9.-7.廃止>
12) 羽幌線西振老仮乗降場(北川口―振老間)<45.-9.-7.廃止>
 いずれも昭和31年5月1日の開設で、よほど利用者がいなかったと思われる。同日付で丸松・更岸・振老の各駅も無人化されている。

13) 根北線西二線仮乗降場(以久科―下越川間)<45.12.-1.廃線により廃止>
14) 根北線14号仮乗降場(下越川―越川間)<45.12.-1.廃線により廃止>
15) 根北線16号仮乗降場(下越川―越川間)<45.12.-1.廃線により廃止>
 いずれも根北線開業の翌年(昭和33年)頃の開設と言われている。"号・線"は屯田制の名残を表す北海道ならではの地名で、昭和30〜40年代に廃止された道内の民鉄・簡易軌道などの駅名に多用されたが、国鉄線でも正規の駅を含めてしばしば見られた。しかし、14号・16号のようにアラビア数字をそのまま使った例は珍しいと思われる。
※ "にゃんちん"様によると、1971年2月の「鉄道ジャーナル」に廃止直前の根北線を訪問した記事があり、同線の仮乗降場についても記載されている模様。「周囲は無人ではなく、民家が数件あったらしいこと。駅名標も時刻表もなく、ホーム長も2メートル程度で、掲載写真からはホームへの坂も幅数十センチ程度のかなりお粗末なシロモノ(板張り)であった」ようです。(追加情報あり、詳しくは(特別企画)【"仮乗降場"こぼれ話】 2.根北線の仮乗降場について参照。)

16) 羽幌線下ノ滝仮乗降場(羽幌―築別間)<47.-2.-8.廃止>
 最近の地図にも"下ノ滝"の集落名は記載されているが、よほど戸数が減ったためか、羽幌以南の小駅(上平・力昼・大椴・臼谷・三泊)の無人化と同時に早々と廃止されてしまった。築別・羽幌炭鉱の閉山(昭和45年)が影響したのであろうか。

17) 湧網線土佐仮乗降場(北見共立―常呂間)<47.-2.-8.廃止>
18) 湧網線常呂港仮乗降場(常呂―能取間)<47.-2.-8.廃止>
19) 湧網線中能取仮乗降場(能取―北見平和間)<47.-2.-8.廃止>
 湧網線はほぼ全線が仮乗降場の"団子"区間だったが、北見共立―北見平和間はよほど利用者がいなかったらしく、昭和47年のダイヤ改正に合わせて3つ同時に廃止されてしまった。やはり同日付で近隣の小駅(北見共立・能取など)も無人化されている。

20) 札沼線南雨龍仮乗降場(北上徳富―雨龍間)<47.-6.19.廃線により廃止>
21) 札沼線中雨龍仮乗降場(雨龍―石狩追分間)<47.-6.19.廃線により廃止>
 札沼線の廃線区間(新十津川―石狩沼田間)にあったあまり知られていない仮乗降場で、いずれも現在の函館本線江部乙駅付近とみられる。やはり昭和31年頃の開設という。ちなみに、札沼線の仮乗降場が北部に多いのは、当時、鶴沼―南下徳富間が管理局の境界だったことと無関係ではないようだ。痕跡的に残った"於札内仮乗降場"(鶴沼―南下徳富間。昭和62年4月1日より正規の駅に昇格)も以前は旭鉄局管内であった可能性が高い。

22) 池北線釧北仮乗降場(小利別―置戸間)<47.-7.27.以降廃止>
 大正から昭和初期にかけて釧路国と北見国の山境(釧北峠)に設けられた"釧北(せんぽく)信号場"が昭和6年4月閉鎖後も仮乗降場として生き残ったものらしく、一部の文献では昭和32年6月1日廃止となっているが、昭和47年7月にこの乗降場を利用して写真に収めた方がいるため、実際の廃止はそれ以降とみられる。周囲には並行 する国道の他は何もなく、晩年は夏期(5〜10月) のみの営業(冬期休止)で、近くの"釧北牧場"の従業員などが 1週間に1度乗降する程度だったという。
※ この仮乗降場に関しては記載されている文献・資料が非常に少なく、実は筆者も極最近"北の旅人"様に教えて頂きました。上記の写真は"YAHOO!ブログ"の某ページに掲載されていますが、やはり板組みの非常に簡素な造りで、駅名標も隣駅表示がない規格外のものだったことがわかります。

23) 深名線大曲仮乗降場(添牛内―朱鞠内間)<51.-2.-1.(?)廃止>
 添牛内―朱鞠内間にあった"共栄仮乗降場"と"双子"の乗降場(共に昭和30年8月20日開設)で、共栄よりかなり添牛内寄りにあったようだ(雨竜川に沿って線路が大きく東へ湾曲する幌加内町大曲集落付近)。参考にしている資料では昭和51年の廃止となっているが、小学館の「北海道690駅」(昭和58年発刊)に記載があることから、"実際の"廃止時期については検討の余地がありそうだ。筆者が昭和59年に思い切って深川駅鉄道案内所で質問したところ、「大曲は昭和58年の春頃から旅客扱いを停止しているが、乗降場のホームなどはそのまま残っているはず」との回答を得ている。しかし、その後しばしば同区間を往復したにもかかわらず、結局、乗降場の痕跡すら見つけることはできなかった。深名線には不思議な駅が多い。
※ "北見大橋"様によると、地元で発行された「添牛内自治区開基100周年記念誌『礎』」(平成23年発行)という資料に「(昭和)30年に蒸気機関車からレールバスによる運行に変わったのを機に、北隣りの共栄ほか3ヶ所と共に、24線のあたりに大曲乗降場が設けられ、住民の利便が図られた。しかしその後の20年間で、人口が95%近くも減少し、利用不振のため昭和51年2月、乗降場が廃止された。」という記載があり、やはり昭和51年に大曲仮乗降場が廃止されたのは間違いないようです。(各種文献やネット上に同乗降場の写真画像を見掛けないこともこれを裏付けています。) ちなみに、昭和30年の国勢調査で48世帯335人もあった「大曲」部落の人口は、昭和50年には6世帯18人となっており、まさに乗降場が廃止される昭和51年に「大曲部落跡」の碑を残して、添牛内自治区へ統合された模様です。また、『礎』にある3ヶ所の乗降場は"共栄"と"政和温泉・上幌加内"を指している模様ですが、"幌加内町史"によるといずれも昭和30年9月16日着工・昭和30年9月23日竣工(工期1週間)となっていて、筆者が入手した文献データとほんの少し齟齬があります。なお、乗降場の建設費(各108,000円)は、沿線受益部落と村費負担でまかなわれたことも記されており、道内の多くの仮乗降場(特に旭鉄局管内)についても同じような方式が採られたものと推測できます。

24) 釧網本線原生花園仮乗降場(浜小清水―北浜間)<53.10.-2.廃止>
 現在の(臨)原生花園駅とほぼ同一地点にあったと思われる仮乗降場で、正確な開設時期は不明だが、手持ちの全国版時刻表・昭和47年3月号(交通公社版)に「(臨)原生花園」として掲載されていることから、少なくともそれ以前の設置であることがわかる。(同44年5月号には載っていない。)しかし、観光客が列車の直前直後を横断して危険という理由で、昭和53年頃廃止になったという。

25) 根室本線鹿越信号場兼仮乗降場(金山―東鹿越間)<61.11.-1.廃止>
 元々は一般駅で、昭和41年9月29日に根室本線の線路付け替えにより信号場へ格下げとなったが、引き続き仮乗降場として客扱いを行っていたらしい。その後、信号場としては昭和57年頃に廃止となった模様だが、さらに暫くの間(単なる)仮乗降場として存続したという話もある。

26) 石北本線上越信号場兼仮乗降場(中越―奥白滝間)<58.-1.10.より旅客扱い廃止>
 利用客がほとんどいなくなったため、昭和50年12月25日に信号場へ格下げとなったが、その後も仮乗降場として客扱いを行ったのは確かのようだ。しかし、当時から周辺には人家が全くなく、昭和58年の合理化(天幕・奥白滝など石北本線の多くの小駅が無人化)に際して、旅客扱いを廃止したものと思われる。現在も信号場としては現役だ。

27) 石北本線常紋信号場兼仮乗降場(生田原―金華間)<58.--.--.(?)より旅客扱い廃止>
 大正11年開設の非常に歴史の古い信号場で、有名なスイッチバック線の途中に短いホームと駅名標があって客扱いを行っていたらしく、かなり昔から各時刻表にも掲載されていた(昭和43年頃までは(仮)、以後は(臨))が、恐らく昭和50年前後から全国版には載らなくなったと思われる。しかし、「北海道690駅」巻末の「北海道仮乗降場一覧」に記載されていることから、その後も引き続き旅客の乗降を認めたと思われるが、昭和50年代の後半にはそれも廃止された可能性が高い。平成11年には列車交換も行われなくなり、事実上信号場としても廃止に近い状況のようだ。詳しくは"21.石北本線常紋信号場"参照。

28) 胆振線尾路園仮乗降場(新大滝―御園間)<60.--.--.(?)廃止>
 実態がはっきりしない変な仮乗降場として、マニアの間では有名。古く昭和16年10月12日に「胆振縦貫鉄道尾路遠停車場」として開設された後、昭和19年7月1日より省線(のち国鉄)の仮乗降場になったという。以来40年もの間、一度も休廃止されることはなかったらしいが、そのわりに乗降場に関する情報が乏しく、極短い乗車記などはたまに書籍等で紹介されているものの、肝心のホームや駅名標の写真をほとんど見掛けない他、尾路"遠"なのか尾路"園"なのか、運転実態や廃止時期すらはっきりしないのが非常に不思議に思われる。しかし、昔から道内版時刻表に掲載されていなかったのは確かなようで、昭和53年10月頃を最後に札鉄局の"運転時刻表"からも削除されたことが知られているが、その後も文献等で仮乗降場を現認した記事を目にすることから、概ね昭和50年代後半から昭和60年末頃の間に廃止されたことは間違いないようだ。(詳しくは"8. 胆振線御園駅"の「尾路園(オロエン)仮乗降場について」参照)

29) 宗谷本線神路信号場兼仮乗降場(筬島―佐久間)<61.--.--.(?)廃止>
 "陸の孤島"とも呼べる隔絶した僻地にありながら、近年まで"一般駅"として旅客・貨物の両方を扱っていたが、昭和49年の貨物廃止を経て、昭和52年5月25日には一気に信号場へ格下げとなった。しかし、「北海道690駅」巻末の「北海道仮乗降場一覧」の他、手持ちの北海道時刻表(交通公社版)昭和58年9月号にも1往復だけだが未だに"神路発時刻"(下り15:42と上り9:30)の記載が見られ、信号場化以後も少なくとも暫くの間は仮乗降場として客扱いを行っていたのではないかと思われる。(降りてもどこへも行けないため通常の利用客はいるはずもなく、正確には「マニアなどが降乗車を申し出れば一応許してくれたのではないか」という次元での話。詳しくは"1.宗谷本線神路駅"参照)

30) 深名線政和温泉仮乗降場(雨煙別―政和間)< 2.-3.10.廃止>
 昭和62年4月1日「臨時駅」を経て、平成2年3月に廃止。(4.(2)B参照)
※ "北見大橋"様によると、北大鉄研が発行した「混合列車」という冊子に当乗降場の設置から廃止に至る経緯が詳しく記載されており、要約すると、@もともと数百m下手に"下政和"という仮乗降場があったが、温泉建設にあたって同乗降場を深川寄りに移設して"政和温泉"と改称した、A設置条件として工事費用(50万円?)は全額"(株)政和温泉"が負担、B温泉利用客の減少の他、政和温泉が石狩川建設部による雨竜川改修工事に引っ掛かったこと、加えて沿線に住む住人がいなくなったことが廃止の要因、とのことでした。

31) 宗谷本線琴平仮乗降場(佐久―天塩中川間)< 2.-9.-1.廃止>
 昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成2年8月限りで廃止。広大な牧草地帯(?)の真ん中にポツンとあって、普通列車の半数便しか停車しなかったため、じっくり訪問できなかったのが残念だ。

32) 石北本線伊奈牛仮乗降場(丸瀬布―瀬戸瀬間)< 2.-9.-1.廃止>
 昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成2年8月限りで廃止。交通量の多い国道333号線の傍らにあったように思うが、かなり以前から早朝と夕方の数便しか停車しなかったようだ。何回か通ったが、ちょっと印象が薄い。

33) 留萌本線桜庭仮乗降場(幌糠―藤山間)< 2.10.-1.廃止>
 昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成2年9月限りで廃止。昭和62年4月1日から63年3月30日までの1年間は"臨時駅"の扱いだった?とする資料もある。藤山駅から2km程手前、国道233号線が留萌本線を横切る陸橋下の奇妙な場所にあった。晩年は利用者がゼロに近かったのか、冬季などは錆付いた駅名標が見えなくなるほどうず高く雪に覆われる有様で、"通過扱い"の便も多かったようだ。

34) 宗谷本線上雄信内仮乗降場(問寒別―雄信内間)<13.-7.-1.廃止>
 昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成13年6月限りで廃止。(4.(5)C参照)

35) 宗谷本線南下沼仮乗降場(幌延―下沼間)<18.-3.18.廃止>
 昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成18年3月に廃止。

36) 石北本線新栄野仮乗降場(瀬戸瀬―遠軽間)<18.-3.18.廃止>
 昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成18年3月に廃止。

37) 留萌本線東幌糠仮乗降場(峠下―幌糠間)<18.-3.18.廃止>
 昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成18年3月に廃止。

38) 室蘭本線旭浜仮乗降場(長万部―静狩間)<18.-3.18.廃止>
 昭和18年9月に「信号場」として開設されたが、昭和44年9月に信号場としては廃止されたらしい。旅客扱いは昭和31年12月以前から行われていた模様で、信号場廃止までは「旭浜(仮)」「旭浜(臨)」の名前で交通公社の全国版時刻表にも掲載されていた。しかし、実際にはそれ以降も仮乗降場として存続し、昭和62年4月1日「旅客駅」を経て、平成18年3月に廃止。


6."駅"に昇格した仮乗降場

 北海道では戦後間もなくから昭和30年代前半にかけて、住民の要望を受け、長い駅間を補う新しい停車場の建設ラッシュを迎えたが、広大な面積に人家がぱらぱらと散らばる僻地ではあまりに乗降客が見込めないためか、色々と制約がある正規の"駅"ではなく、とりあえず簡単な設備で済む"仮乗降場"を設置するというケースが多かったようだ。しかし、昭和20年代に設置された仮乗降場のほとんどはその後間もなく正規の駅に昇格しており、その数は道内各路線で数十駅*1にも及ぶ。それに対して、昭和30年代に設置されたものは、正規の駅に昇格したもの*2が比較的少なくて対照的だ。また、昇格の基準は主に"乗降人員実績"に依ると考えられるが、"昇格組"の中には近年の統計で仮乗降場並みの利用率しかない駅も多く含まれていて、実際のところは判然としない。なお、前述の通り、昭和62年4月の国鉄民営化によりJR北海道では「仮乗降場」が全廃されたため、「臨時駅」に横滑りした数駅(1.注)*2参照)を除いて、結局は残りの仮乗降場も全て正規の駅へ格上げとなっている。

注)
*1 たくさんあるので数例を挙げると、
・深名線上多度志仮乗降場(深川―多度志間)21.-6.-1.開設 -> 25.-1.15.駅昇格
・歌志内線文殊仮乗降場(砂川―神威間)21.11.-1.開設 -> 22.-2.20.駅昇格
・相生線布川仮乗降場(本岐―北見相生間)22.-2.11.開設 -> 31.-9.20.駅昇格
・名寄本線中名寄仮乗降場(名寄―上名寄間)22.-9.21.開設 -> 25.-1.15.駅昇格
・羽幌線臼谷仮乗降場(三泊―小平間)22.12.25.開設 -> 25.-1.15.駅昇格
・幌内線弥生仮乗降場(唐松―幾春別間)23.-1.25.開設 -> 26.12.20.駅昇格
・函館本線鶉仮乗降場(砂川―上砂川間)23.12.-1.開設 -> 28.10.-1.駅昇格
・興浜南線栄丘仮乗降場(沢木―雄武間)23.-7.-1.開設 -> 31.-9.20.駅昇格
・湧網線北見平和仮乗降場(能取―卯原内間)24.10.20.開設 -> 29.-1.-1.駅昇格 など

注)
*2 たくさんあるので数例を挙げると、
・深名線新富仮乗降場(政和―添牛内間)30.-9.-2.開設 -> 31.-9.20.駅昇格 (-> 2.-9.-1.廃止)
・宗谷本線旭川四条仮乗降場(旭川―新旭川間)31.-2.-1.開設 -> 48.-9.29.駅昇格
・広尾線幸福仮乗降場(大正―中札内間)31.-8.26.開設 -> 31.11.-1.駅昇格
・名寄本線矢文・岐阜橋仮乗降場(上名寄―下川間)31.10.30.開設 -> 34.11.-1.駅昇格
 名寄本線は*1(他に二ノ橋・豊野・旭)も含めて"昇格組"が非常に多く、他に北興・川西・共進(一区中通仮乗降場)・北遠軽(学田仮乗降場)。
・富良野線西御料・神楽岡仮乗降場(西神楽―旭川間)32.12.--.開設 -> 33.-3.25.駅昇格
 同じく西神楽―旭川間の"西瑞穂駅"も元は仮乗降場(昭和33年1月25日から2ヶ月間のみ)で、極短期間だが異例の"三つ子"区間が存在したことになる。また、富良野線は14駅のうち8駅が仮乗降場出身という(他に学田・鹿内・西中・北美瑛・西聖和)。
・標津線平糸仮乗降場(春別―別海間)36.10.-1.開設 -> 42.-4.-1.駅昇格
・標津線光進仮乗降場(泉川―西春別間)37.-5.-1.開設 -> 42.-4.-1.駅昇格
 標津線では、ほぼ同時期に"多和仮乗降場"(標茶―泉川間。昭和36年4月10日開設。4.(5)A参照)や"開栄仮乗降場"(計根別―当幌間。昭和36年10月1日開設)も設置されているが、こちらの方はなぜか駅に昇格しなかった。また、似たような僻地にある協和駅(中標津―春別間。昭和32年12月25日開業)や上春別駅(西春別―計根別間。昭和38年7月1日開業)は当初から正規の駅として開業しており、どのような基準で設置・昇格が決められたのか興味深い。


7.仮乗降場の乗車券類

(1) 仮乗降場に対する乗車券発売の原則

 仮乗降場は全て「営業キロ」が設定されていないため、運賃計算には特殊なルールが必要だった。仮乗降場から乗車する場合の運賃計算の起点は「列車の進行と反対方向で最も近い営業キロがある駅」、仮乗降場に下車する場合の運賃計算の終点は「列車の進行と同じ方向で最も近い営業キロがある駅」となる。したがって、仮乗降場を利用する際は「乗車距離に比べて常に(ほんの少しだが)運賃が割高になる」計算で、例えば、湧網線堺橋仮乗降場から乗車して若里仮乗降場で下車するような場合、この区間は「知来駅―興生沢仮乗降場―堺橋仮乗降場->佐呂間駅->若里仮乗降場―床丹駅」のような並びになっているため、運賃は「知来->床丹」間の乗車と同額になってしまう。実際、事前に乗車券を用意した場合でも"車補"を発行してもらった場合でも、券面の乗車区間の欄は、原則として「堺橋から若里ゆき」ではなく「知来から床丹ゆき」と印字・記入されていたようだ(定期券や回数券も同じ)。

(2) 仮乗降場"発売"の委託乗車券

 仮乗降場の利用客は定期券や回数券講入者(通院・通学などの固定客。稀に筆者のようなフリーパス周遊券持参の旅行者など)が大半だったと思われるが、それら以外で仮乗降場から乗車する場合にはほとんどのケースで"車内乗車券"を講入しなければならなかった。ところが、"ラミー様"のご指摘により、極稀に乗降場またはその近隣に商店や個人(?)などの"委託乗車券発売所"があって、事前に乗車券を講入できる"委託駅なみの仮乗降場"もいくつか存在することがわかったので紹介したい。

@ 相生線旭通仮乗降場(美幌―上美幌間)
 起点の美幌駅からわずか2km程の比較的住宅街にあった仮乗降場(昭和30年8月20日開設)で、全ての列車が停車して利用客も多かったようだ。筆者が昭和59年7月に乗車旅行した際も、狭く短いホームが高校生でぎっしりだったのを記憶している。乗降客が多いうえに美幌までの乗車時間があまりに短い(約3分)ため、"車内乗車券"の発売が間に合わないという背景があったと思われ、かなり以前から@―1のような簡易委託券が発売されていたらしい。この券は「北海道総局旅客営業取扱基準規程」の第58条による「軟券11券片を上下に連綴し、最上部に管理駅側の領収用券片がついた」比較的よく見掛けるものだが、乗車駅部分が運賃計算上の起点となる「美幌」ではなく「旭通」そのもの(しかも常備式)になっている点が変っている。"ラミー様"によると発売開始は昭和45年以降とみられ、地紋色は当時の"近距離乗車券"と同じ淡青色だが、昭和51〜52年頃からは淡赤色に変更となったはずで、さらに晩年は@―2のような硬券へ移行した模様。この券は乗車駅部分が「旭通から」となっていない(むしろこれが普通だ)が、最下段が「A(簡)美幌駅発行」と印刷されていることから、"旭通仮乗降場"専用のものであることがわかる(旭鉄局管内特有の簡易委託乗車券の様式で、"(簡)"の次は発売駅ではなく"管理駅")。なお、これらの券が旭通仮乗降場付近のどこで売られていたのか、あるいは行先別の設備数*など詳細は不明だ。

* その後、"ぽてにゃん"様から「北見相生」の他に少なくとも「津別」「本岐」「北見」「網走」ゆきがあったことを教えて頂きました(下画像)。初期のものはゴム印による補充式であったらしいこと、「北見相生」など一部の着駅では"小児用"も存在したことが確認できます。
また、"にゃんちん"様によると、この他に「上美幌→美幌」(軟券)「上美幌→北見」(硬券)などがあったことも確実。





『資料提供/ぽてにゃん様』
◆貴重な画像をありがとうございました。


* また、さらにその後、"日高三股駅長"様から"2等券"時代の貴重な画像を送って頂きました(左)。この様式では極初期のものと思われますが、上記の予想に反して"常備式"のうえ、なんと発駅が「旭通"り"」になっています。恐らくは"誤植"と思われますが、「二重の珍品」と言える貴重な発見です。

『資料提供/日高三股駅長様』
◆いつも貴重なご指摘ありがとうございます。


A 宗谷本線旭川四条仮乗降場(旭川―新旭川間)
 "駅"としては昭和48年9月開業ということになっているが、元々は昭和31年2月に仮乗降場として開設されたという(6.注)*2参照)。筆者もつい最近までこの駅が長い期間"仮乗降場"であったことを知らなかったが、"ラミー様"蒐集品の日付から、なんと少なくとも昭和36年頃より数種類以上の(委託)乗車券類を発売していたことが明らかになった。旭川からわずか1.8km程の市街地にあるため、やはり"旭通"と同じような背景が考えられる。A―1・2はなんと硬券で、しかもA―1は「常備往復乗車券」、A―2は「準常備片道乗車券」の様式のため、「北海道総局旅客営業取扱基準規程(委託券の条項)」制定以前のものであることがわかる。"ラミー様"ご指摘の通り、恐らくは"委託駅"や"委託乗車券"の概念がなかった時期の券と思われ、さらには、この2種の存在から推して一般の旅客駅並の口座設備と多様な出札業務を行ったことが推測される。(しかも、大人小児用券・準常備券などは通常、甲・乙片の"審査"など面倒な事務が付随するため、一般の民間人などに業務を委託したとは考えにくく、ある程度しっかりした専用の"出札所"を設けて"国鉄職員"を配した可能性が高いように思われる。ただ、"見本"等の不明な朱袋文字がちょっと気になる。)また、A―3は「委託券規程」制定以後の"連綴式"軟券、A―4は"駅"に昇格・民営化後の簡易委託券(硬券)。現在は硬券が廃止されたため、再びA―3のような"連綴式"軟券に戻っているはずだ。


B 羽幌線番屋ノ沢仮乗降場(力昼―古丹別間)
 昭和30年3月26日の開設で、力昼の集落には最も近く、昔から「本家」の"力昼駅"より利用客が多かったようだ("15.羽幌線力昼駅"の「番屋ノ沢仮乗降場について」参照)。乗降場の近くに、雑貨店が兼務する「番谷ノ沢国鉄乗車券発売所」があったことがはっきりしており、簡易委託乗車券が存在したことは確実だが、"連綴式"軟券だったのか硬券だったのかが興味の的だった。B―1は様式から「"力昼駅"発売」および「"番屋ノ沢仮乗降場"発売」の両方が考えられるが、"15.羽幌線力昼駅"にあるように、廃線前頃は力昼駅の委託券が"連綴式"軟券であったことがはっきりしているため、発売日付からこれが「"番屋ノ沢仮乗降場"発売」である可能性が高いように思われる。(但し、稀に「軟券と硬券の両方を同時期に発売している」例もある旨、"ラミー様"からご指摘を受けました。)






※『本項の資料提供/ラミー様』
◆ご協力本当に感謝いたします。


 その後、仮乗降場の簡易委託乗車券類の発売状況について、「実券や現場資料などから、上記の他に少なくとも旭鉄局管内の深名線上幌加内・宇摩、羽幌線花岡・啓明、天北線飛行場前、留萌本線信砂・箸別、宗谷本線天塩川温泉、石北本線愛山にも委託券が存在した」旨、"日高三股駅長"様からメールを頂きました。いずれも周辺人口がかなり少ないと思われる乗降場ばかりなので、発売の背景や一体どこで売られていたのかなど、非常に興味深いです。また、併せて上記の「旭通」「旭川四条」と同様な「仮乗降場名常備式」の連綴式軟券が他にも存在することをご教示頂きました(下図)。よく見ると左の券にはパンチが入っており、"番屋ノ沢"は仮乗降場でありながら「改札鋏」があったことになります。

 その後、上記の「改札鋏」について"へい"様より「薄く見えるゴム印は"往復印"ではないでしょうか。この改札鋏の形は北海道の"か行"の駅のものなので、往復の復路に"古丹別"駅で入鋏されたものではないでしょうか?」という鋭いご指摘を頂戴しました。汗顔の至りです。よく見ると、件の印は「通用2日」と判読できますので、この券は"復路用に発売されたもの"と考えるほうが自然で、番屋ノ沢仮乗降場に「改札鋏」があったと考えるのには無理があるようです。

◆"へい"様、鋭いご指摘本当にありがとうございました。


 また、"日高三股駅長"様からは"湧網線北見平和駅"(29.-1.-1.駅昇格。6.参照)がまだ「仮乗降場」の時代(昭和26年6月)に発売されたと思われる古い委託券の情報も併せて教えて頂きました。画像は掲載できませんが、この券はゴム印による補充式(「(委)北見平和―網走」)で、縦寸が極端に短く、終戦直後の臨時様式であることがうかがわれます。ともあれ、このような委託券が昭和20年代から既に発売されていたとは、驚きの限りです。

 その後、上記の"北見平和"委託券(?)の"第10(最終)券片"と思われる古い軟券画像を送って頂きました(左:右の券片はさらに古い"GJR鉄道省"地紋様時代のもの)。どうやら、実体は「回数乗車券」だったようですが、この券には普通の回数券であれば不要と思われる「(委)」のゴム印や乗車日付(?)と考えられる押印があります。また、通常は回数券の各券片を切り離して使用することはできない規則になっていますので、極当初は専用の委託券の代わりに「このような普通の回数乗車券を流用して"バラ売り"していた」とも考えられます。

 なお、道内の「旅客扱いを行う信号場(仮乗降場)」では駅舎内にちゃんとした出札口があり、かなり昔から各種乗車券類の発売が行われていたことが知られています。多くは"補充券"で対応した模様ですが、函館本線の各信号場では硬券の設備もあり、仁山(信)などでは比較的近年(昭和60年頃)まで発売されていた模様です。"日高三股駅長"様から本石倉・桂川の貴重な硬券画像を頂戴しましたので、併せてご紹介致します。

『資料提供/日高三股駅長様』
◆いつも貴重な情報をありがとうございます。


 また、ラミー様からも宇摩・鷲ノ巣発売と思われる委託券の画像を送って頂きました。いつもありがとうございます。鷲ノ巣の券は昭和33年発行の古い貴重なもので、異常に縦寸が短い他、日付が裏面に捺されている、3等表記がないなど非常に違和感を感じます。また、古くから仮乗降場として客扱いを行った信号場として有名ですが、小学館の「北海道690駅」(昭和58年発刊)巻末の「貨物駅・信号場変遷一覧」によると、開設年月日が不明のうえ"昭和24年8月1日に一旦廃止、昭和37年9月30日に復活"となっていて、この券の日付と矛盾もあります。詳しい事情をご存じの方は是非ご一報下さい。

* その後の調査で、"鷲ノ巣"については「昭和24年8月1日〜37年9月30日の間は確かに信号場としては休止だが、単なる仮乗降場として営業は継続されていた」とする資料があることもわかりました。


 また、へい様からは旭鉄局内部資料の「53.10.-1現在 旭鉄局 簡易委託券発売駅一覧」を送って頂きました。この中には一般の無人駅の他にたくさんの仮乗降場名も記されており、"日高三股駅長"様もご指摘の通り、(昭和53年当時)以下の仮乗降場で簡易委託券が発売されていたことがはっきりしました。

深名線: 宇摩・上幌加内
留萌本線: 信砂・箸別
羽幌線: 花岡・番屋ノ沢・啓明・作返
宗谷本線: 南咲来(現・天塩川温泉)
石北本線: 愛山・新栄野
相生線: 旭通

 その後、"へい"様には「59.11.10現在」の内部資料情報も頂戴しました。なんとご自身で旭鉄局に出向いて入手されたという貴重なデータで、「キップを集める目的ということで、現在販売していない駅をマジックで消して渡してくれました。消された駅は、昭和59年以前に『既に"利用者なし、実績なし"だったが委託契約だけはあった』ものと思われます。したがって、前回お知らせした昭和53年資料の場合も、同様に契約はあったが販売はしていなかったものが含まれている可能性があります。昭和59年11月10日現在、仮乗降場の簡託は深名線宇摩・深名線上幌加内・羽幌線番屋ノ沢・石北本線新栄野・相生線旭通の5ヶ所だけに縮小しているようです。」とのことでした。仮乗降場関係では、

留萌本線信砂: 45年から実績なし
留萌本線箸別: 45年から実績なし
羽幌線啓明: 利用者なし、56年から実績なし
宗谷本線天塩川温泉(旧・南咲来): 50年から実績なし
石北本線愛山: 実績なし

などとなっているそうです。

◆"へい"様、重ねて篤く御礼申し上げます。


8.北海道の仮乗降場一覧

★ 「国鉄民営化(昭和62年4月1日)以前に正規の駅へ昇格した仮乗降場」(6.参照)は掲載を省略しました。また、民営化によって正規の駅へ昇格したケースについても「注)」を省略してあります。
☆ 「信号場兼仮乗降場」の"開設日付"については「旅客扱いを始めた年月日」を掲載しています。また、「正規の駅から仮乗降場に降格したもの」については、その日付をもって"開設日付"としました。
☆ 各種文献のデータ齟齬あるいは不明などにより日付に疑問があるものについては末尾に疑問符「?」を打ってあります。
◆ 17.-3.18. "にゃんちん"様より「石北本線鳥ノ沢・下相ノ内・野上などがリスト漏れしている」等のご指摘を受け、追加・修正を行いました。ご協力本当に感謝いたします。

  
線 区 駅 間 仮乗降場名 開設日付 廃止日付 注)
手宮線 南小樽―手宮 色内 24.-9.-1.   37.-5.15. 手宮線の貨物専用化による廃止
根北線 以久科―下越川 西二線 33.--.--.   45.12.-1. 廃線による廃止
根北線 下越川―越川 14号 33.--.--.   45.12.-1. 廃線による廃止
根北線 下越川―越川 16号 33.--.--.   45.12.-1. 廃線による廃止
函館本線 渡島大野―大沼 仁山 18.--.--.  
信号場
函館本線 駒ケ岳―森 東山 24.-8.-1.  
24.-8.-1.信号場としては廃止
函館本線 駒ケ岳―森 姫川 26.-5.19.?  
信号場
函館本線 森―石谷 桂川 19.-9.30.  
信号場
函館本線 石谷―石倉 本石倉 23.-7.-1.  
信号場
函館本線 八雲―山崎 鷲ノ巣 24.-8.-1.  
信号場
函館本線 黒岩―国縫 北豊津 19.-7.-1.  
信号場
函館本線 鹿部―渡島砂原 渡島沼尻 20.-6.-1.  
信号場
函館本線 伊納―近文 嵐山 33.-6.--.?   33.-8.--.以降 "嵐山公園"開園に合わせた期間限定?
札沼線 鶴沼―南下徳富 於札内 34.12.-1.  

札沼線 北上徳富―雨龍 南雨龍 31.11.16.   47.-6.19. 部分廃線による廃止
札沼線 雨龍―石狩追分 中雨龍 31.11.16.   47.-6.19. 部分廃線による廃止
幌内線 岩見沢―萱野 栄町 55.10.-1.   62.-7.13. 廃線による廃止
胆振線 新大滝―御園 尾路園 16.10.12.   60.--.--.? 利用者減による廃止。道内版時刻表に記載なし
日高本線 浦河―日高幌別 東町 52.-9.-1.  

深名線 深川―上多度志 円山 30.-8.20.   7.-9.-4. 廃線による廃止
深名線 多度志―幌成 宇摩 30.-8.20.   7.-9.-4. 廃線による廃止
深名線 幌成―鷹泊 下幌成 30.-8.20.   7.-9.-4. 廃線による廃止
深名線 沼牛―幌加内 新成生 30.-8.20.   7.-9.-4. 廃線による廃止
深名線 幌加内―雨煙別 上幌加内 30.-8.20.   7.-9.-4. 廃線による廃止
深名線 雨煙別―政和 政和温泉 36.12.-1.   2.-3.10. 62.-4.-1.臨時駅。利用者減による廃止
深名線 雨煙別―政和 下政和 30.-8.20.   36.12.-1. "政和温泉(仮)"に移転統合
深名線 添牛内―朱鞠内 大曲 30.-8.20.   51.-2.-1. 利用者減による廃止
深名線 添牛内―朱鞠内 共栄 30.-8.20.   7.-9.-4. 廃線による廃止
深名線 朱鞠内―蕗ノ台 湖畔 31.-5.-1.   7.-9.-4. 廃線による廃止
深名線 朱鞠内―蕗ノ台 宇津内 24.-4.-1.   31.11.19.以降 駅から降格。利用者減による廃止
室蘭本線 長万部―静狩 旭浜 18.-9.25.?   18.-3.18. 44.-9.20.信号場としては廃止。H18利用者減により廃止
室蘭本線 静狩―礼文 小幌 18.-9.25.?  
42.10.-1.信号場としては廃止
室蘭本線 伊達紋別―稀府 北舟岡 55.--.--.?  
信号場
根室本線 金山―東鹿越 鹿越 41.-9.29.   61.11.-1. 一般駅->信号場->仮乗降場
根室本線 落合―新得 狩勝 26.-4.-1.?   41.10.-1. 信号場
根室本線 札内―幕別 稲士別 34.10.-7.  
道内版時刻表に記載なし
根室本線 音別―白糠 古瀬 29.-7.-1.?  
信号場
留萌本線 秩父別―石狩沼田 北秩父別 31.-7.-1.  

留萌本線 石狩沼田―恵比島 真布 31.-7.-1.  

留萌本線 峠下―幌糠 東幌糠 38.12.-1.   18.-3.18. 利用者減による廃止
留萌本線 幌糠―藤山 桜庭 38.12.-1.   2.10.-1. 利用者減による廃止
留萌本線 礼受―舎熊 阿分 38.12.-1.  

留萌本線 礼受―舎熊 信砂 38.12.-1.  
5.-2.-2.移設
留萌本線 舎熊―増毛 朱文別 38.12.-1.  

留萌本線 舎熊―増毛 箸別 38.12.-1.  

羽幌線 小平―大椴 花岡 31.-8.20.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 大椴―鬼鹿 富岡 31.-5.13.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 鬼鹿―力昼 千松 38.-6.-1.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 力昼―古丹別 番屋ノ沢 30.-3.26.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 苫前―羽幌 興津 31.-9.-1.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 羽幌―築別 下ノ滝 31.11.-1.   47.-2.-8. 利用者減による廃止
羽幌線 遠別―丸松 啓明 31.-5.-1.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 丸松―更岸 北里 31.-5.-1.   45.-9.-7. 利用者減による廃止
羽幌線 更岸―天塩 干拓 30.12.-2.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 天塩―北川口 中川口 31.-5.-1.   62.-3.30. 廃線による廃止
羽幌線 北川口―振老 西振老 31.-5.-1.   45.-9.-7. 利用者減による廃止
羽幌線 振老―幌延 作返 30.12.-2.   62.-3.30. 廃線による廃止
士幌線 中士幌―士幌 新士幌 41.10.-1.   62.-3.23. 廃線による廃止。道内版時刻表に記載なし
士幌線 黒石平―糠平 電力所前 38.11.-1.   62.-3.23. 廃線による廃止。上り専用
士幌線 黒石平―糠平 糠平ダム 31.--.--.   --.--.--. 利用者減による廃止?
白糠線 上白糠―茶路 共栄 49.-7.25.   58.10.23. 廃線による廃止。道内版時刻表に記載なし
宗谷本線 剣淵―士別 北剣淵 34.11.-1.  

宗谷本線 多寄―風連 瑞穂 31.-9.-1.  

宗谷本線 智恵文―南美深 智北 34.11.-1.  

宗谷本線 豊清水―咲来 天塩川温泉 31.-7.-1.  
56.-7.--."南咲来"改称
宗谷本線 筬島―佐久 神路 52.-5.25.   61.--.--.? 旅客駅->信号場兼->廃止
宗谷本線 佐久―天塩中川 琴平 30.12.-2.   2.-9.-1. 利用者減による廃止
宗谷本線 問寒別―雄信内 糠南 30.12.-2.  

宗谷本線 問寒別―雄信内 上雄信内 31.-5.-1.   13.-7.-1. 利用者減による廃止
宗谷本線 幌延―下沼 南下沼 32.-2.-1.   18.-3.18. 利用者減による廃止
天北線 上音威子府―小頓別 天北栄 --.--.--.   40.10.--. 利用者減による廃止
天北線 上頓別―敏音知 恵野 31.-5.-1.   1.-5.-1. 廃線による廃止
天北線 敏音知―松音知 周麿 31.-5.-1.   1.-5.-1. 廃線による廃止
天北線 松音知―中頓別 上駒 30.12.-2.   1.-5.-1. 廃線による廃止
天北線 中頓別―下頓別 寿 30.12.-2.   1.-5.-1. 廃線による廃止
天北線 中頓別―下頓別 新弥生 34.11.-1.   1.-5.-1. 62.-4.-1.臨時駅->62.12.-1.旅客駅?->廃線廃止
天北線 下頓別―浜頓別 常盤 30.12.-2.   1.-5.-1. 廃線による廃止
天北線 浜頓別―山軽 北頓別 --.--.--.   42.10.-1. 利用者減による廃止
天北線 山軽―浅茅野 安別 31.11.19.   1.-5.-1. 廃線による廃止
天北線 山軽―浅茅野 飛行場前 30.12.-2.   1.-5.-1. 廃線による廃止
天北線 声問―南稚内 宇遠内 30.12.-2.   1.-5.-1. 廃線による廃止
渚滑線 渚滑―下渚滑 元西 31.-5.-1.   60.-4.-1. 廃線による廃止
渚滑線 下渚滑―中渚滑 十六号線 30.12.25.   60.-4.-1. 廃線による廃止
渚滑線 中渚滑―上渚滑 上東 30.12.25.   60.-4.-1. 廃線による廃止
渚滑線 上渚滑―滝ノ下 奥東 30.12.25.   60.-4.-1. 廃線による廃止
渚滑線 滝ノ下―濁川 雄鎮内 30.12.25.   60.-4.-1. 廃線による廃止
興浜南線 沢木―栄丘 元沢木 30.12.25.   60.-7.15. 廃線による廃止
興浜南線 栄丘―雄武 雄武共栄 30.12.25.   60.-7.15. 廃線による廃止
湧網線 中湧別―芭露 五鹿山 33.-7.-1.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 中湧別―芭露 福島 30.12.25.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 芭露―計呂地 志撫子 30.12.25.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 計呂地―床丹 浜床丹 31.-8.20.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 床丹―佐呂間 若里 30.12.25.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 佐呂間―知来 堺橋 31.12.20.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 佐呂間―知来 興生沢 30.12.25.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 知来―仁倉 紅葉橋 30.12.25.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 北見富丘―北見共立 東富丘 31.-5.-1.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 北見共立―常呂 土佐 31.-1.-7.   47.-2.-8. 利用者減による廃止
湧網線 常呂―能取 常呂港 31.-1.-7.   47.-2.-8. 利用者減による廃止
湧網線 能取―北見平和 中能取 31.-1.-7.   47.-2.-8. 利用者減による廃止
湧網線 卯原内―二見ヶ岡 二見中央 31.-5.-1.   62.-3.20. 廃線による廃止
湧網線 二見ヶ岡―網走 大曲 30.12.25.   62.-3.20. 廃線による廃止
興浜北線 浜頓別―豊牛 頓別 31.-2.26.   60.-7.-1. 廃線による廃止
興浜北線 豊牛―斜内 豊浜 31.-2.26.   60.-7.-1. 廃線による廃止
興浜北線 目梨泊―問牧 山臼 31.-2.26.   60.-7.-1. 廃線による廃止
名寄本線 二ノ橋―一ノ橋 幸成 31.-4.30.   1.-5.-1. 廃線による廃止
名寄本線 西興部―中興部 六興 34.-4.20.   1.-5.-1. 廃線による廃止
名寄本線 中興部―宇津 班渓 32.12.-3.   1.-5.-1. 62.-4.-1.臨時駅->62.12.-1.旅客駅?->廃線廃止
名寄本線 興部―豊野 旭ヶ丘 31.-9.-1.   1.-5.-1. 34.11.-1."秋里"改称->56.-7.--.以前"旭丘"改称?
名寄本線 沙留―渚滑 富岡 31.-9.-1.   1.-5.-1. 廃線による廃止
名寄本線 沙留―渚滑 川向 --.--.--.   41.-3.--. 利用者減による廃止?
名寄本線 元紋別―小向 一本松 30.12.25.   1.-5.-1. 廃線による廃止
名寄本線 小向―沼ノ上 弘道 31.-5.-1.   1.-5.-1. 廃線による廃止
名寄本線 中湧別―上湧別 北湧 41.10.-1.   1.-5.-1. 廃線による廃止
名寄本線 中湧別―上湧別 厚生病院前 30.12.25.   41.10.-1 "北湧(仮)"に移転統合
名寄本線 中湧別―湧別 四号線 30.12.25.   1.-5.-1. 廃線による廃止
石北本線 東旭川―桜岡 北日ノ出 35.-5.-2.  

石北本線 当麻―伊香牛 将軍山 35.-5.-2.  

石北本線 中愛別―安足間 愛山 35.-5.-2.  

石北本線 安足間―上川 東雲 35.-5.-2.  

石北本線 中越―奥白滝 上越 50.12.25.   58.-1.10. 旅客駅->信号場兼->仮乗降場としては廃止
石北本線 白滝―下白滝 旧白滝 22.-2.11.  

石北本線 丸瀬布―瀬戸瀬 伊奈牛 32.12.-1.   2.-9.-1. 利用者減による廃止
石北本線 瀬戸瀬―遠軽 新栄野 21.12.-1.   18.-3.18. 42.11.15."野上"改称。利用者減による廃止
石北本線 安国―生田原 生野 21.12.-1.  

石北本線 生田原―金華 常紋 26.-4.-1.?   50.-7.-1.? 少なくとも仮乗降場としては廃止
石北本線 留辺蘂―相ノ内 下相ノ内 25.11.-1.   42.10.-1. 晩年は1日1列車のみ
石北本線 北見―端野 柏陽 32.12.-1.  

石北本線 緋牛内―美幌 鳥ノ沢 23.11.-1.   46.-7.-1.
相生線 美幌―上美幌 旭通 30.-8.20.   60.-4.-1. 廃線による廃止
相生線 上美幌―活汲 豊幌 30.-8.20.   60.-4.-1. 廃線による廃止
相生線 活汲―津別 達美 31.-5.-1.   60.-4.-1. 廃線による廃止
相生線 津別―恩根 高校前 30.-8.20.   60.-4.-1. 廃線による廃止
相生線 本岐―布川 大昭 31.-5.-1.   60.-4.-1. 廃線による廃止
相生線 本岐―布川 開拓 31.-5.-1.   60.-4.-1. 廃線による廃止
池北線 高島―勇足 大森 43.10.-1.   18.-4.21. 道内版時刻表に記載なし。 1.-6.-3.ちほく高原鉄道へ移管
池北線 上利別―大誉地 笹森 32.-8.-1.   18.-4.21. 道内版時刻表に記載なし。 1.-6.-3.ちほく高原鉄道へ移管
池北線 小利別―置戸 釧北 T5.11.-1.?   --.--.--. 6.-4.-7.信号場閉鎖。廃止はS47.7.以降?
釧網本線 網走―鱒浦 桂台 42.-4.-1.  

釧網本線 浜小清水―北浜 原生花園 39.-6.-1.   53.10.-2. (臨)原生花園駅とほぼ同位置
標津線 標茶―泉川 多和 36.-4.10.   1.-4.30. 廃線による廃止。"北海道時刻表"に記載なし
標津線 計根別―当幌 開栄 36.10.-1.   1.-4.30. 廃線による廃止


◆ 参考文献:「北海道690駅」(宮脇俊三/原田勝正編集・1983年・小学館)/「鉄道廃線跡を歩くW」(宮脇俊三編著・1999年・JTB出版事業局)/「鉄道旅行術」(種村直樹著・1977年・日本交通公社出版事業局)/「鈍行列車の旅」(種村直樹著・1979年・日本交通公社出版事業局)/「停車場変遷大事典」(1998年・JTB出版事業局)など